uguisumoti123’s diary

僕の日常の経験等から導来された感想、雑感等を思いつくままに(徒然なるままに)綴ってゆきたいと思います。理性より感性派の僕なりの視点で捉えた内観、作品鑑賞の感想批評他を感性派の僕なりの感覚を働かせて綴ってゆきます。写真他について、(レトロ)ゲーム、漫画、日常生活で感じた(気付いた)事の雑感、他。新型コロナワクチン問題も。知的生活の事も。Twitter:「餅@sinkoumoti」「うぐいす餅#2@uguisumoti2」「うぐいす餅@uguisumoti1」等も。生まれつき観音(霊格7~8次元)と思っている

40歳を過ぎた代謝の落ちた体でもメタボを気にせず普通に食べることができるダイエットの考え方[GI(グリセミック・インデックス)値=糖化指数] 新型コロナワクチンの問題も 知的生活のことも

 40歳を過ぎる辺りから体の新陳代謝が落ち少し食べただけで体重が増え出し、なかなか体重が減らない、健康診断でコレストロール値や血糖値、血圧等でいつも正常値より高い数値が出て健診結果でメタボ的判定になってひどい時には病院での再検査の判定が出る等の負の連鎖を断ち切る僕なりに本を読んだ知識と経験的に考え出したダイエットの考え方を述べたいと思います。

 

 

 若い頃20代~30歳代半ばくらいまでの頃は甘いもの、脂肪分が多いもの、米、パン炭水化物の多いもの等いくら摂っても少し運動するなり、例えばウォーキングでも少し汗をかく運動を多少行えば体重は落ちたと思います。体の(新陳)代謝が多く体の脂肪が落kちやすかったと思います。僕も一時、昔(20歳代まで)50kgの体重が71kgまで増え(33歳にの頃)たけれど、食事量の減少と簡単な運動(ウォーキング他仕事中の活動量で)での体重減少で再び50kgくらいまで落ち(34歳)、仕事を一時辞めて動かなくなった時に再び体重増加70kg近くまで増えた(36歳頃)けれど、一日一時間のウォーキング(少し走ったも)で体重が再び50kgくらいまで落ちたという増減の繰り返しの経験がありました。

だから、少し運動すれば体重は落ちるものだと思っていました。

 

しかし、40歳頃を境に(現在46歳)そのような軽い運動をいくら行っても一日8000歩くらいを繰り返しても全く体重は落ちなくなり、せいぜい体重は現状維持止まりで、少し食生活が甘いものや炭水化物を多く摂るようになると体重はそのような活動量では増加するようになっていきました[基礎代謝量が減るのだそうです]。今年(46歳)の5月には遂に体重76kgの過去最大の数値になっていました。昨年(2019年)10月の職場での健康診断時の体重は75kg[再就職2017年10月時(43歳)は68kg、つまり職場で活動量が増えて加えてウォーキングでも7kg増えていた。2008,2009年(34,35歳頃)の別の職場での健康診断では体重は50kg台で他の数値に異常は全く見られなかった。36歳頃~43歳頃は血液・尿検査だけ受けていて、コレストロール値だけが正常値より高かった状態が続いていた(体重は60kg~68kgと微増)]で判定はC-で「病院での再検査が必要」との結果が出ていたから、さすがに今年の健診で再びそうなるのはまずいと思い、読みかけていたダイエット本をよく読んで40代からの体重増加、食事の仕方のメカニズムをしっかり押さえそれに基づいてダイエットの考え方を(僕なりのアレンジを加えて)実践していったら今年10月の健康診断時には体重は69kgまで減少(つまり5ヶ月間で7kg減)、判定はC+(年一回の健診でよい)とほぼ健康状態の判定に戻っていたから【血圧が高い数値が出ているがどうも最近血圧の正常値の値が低く設定されているそうで昔なら正常な血圧でも高いと判定する傾向があるよう。だから健診結果の判定は鵜呑みにしないほうがいいよう。血圧以外はAかB判定で血圧正常値が低く設定されていたとしたら血圧も正常値なわけでそれならはっきり言ってB判定の健康状態だ。今年の血圧測定は140~92mmHg(正常範囲とされているのが129~84mmHg)で従来の2013年以前の基準範囲は(上)[147]~(下)[51~94]mmHgだそうで2014年からは129~84mmHg、つまり従来なら正常値。90代のお年寄りも20代の若者も同じ基準範囲というのはおかしいそうで血圧降下薬剤を売るために作られたうさんくさい正常値基準値だそうです(近藤誠・和田秀樹 著『やってはいけない健康診断 早期発見・早期治療の「罠」』)】その効果の程がいかによかったか、その方法、考え方について述べておきたくなったわけです。

 

GI値(=糖化指数)で食べる品目の順番を考えるのと、糖化(=炭水化物が脂肪に変換される)のメカニズムの理解で健康維持と痩せられる原理の説明】

 

 

太らない食事、太る食事を一目で見抜く方法があるそうで、

①使われている食事の「品目数」

②使われている食事の「色の数」

③使われている食事の「GI値(=糖化指数)」

で判断できるのだそうです。

①と②は栄養バランスについてで、肥満、中年太りは体の機能低下で起こるそうだから、栄養バランスが重要ということになるようです。

例えば、惣菜を選ぶとき、「玉子焼き」と「野菜炒め」をどちらを選ぶかを考えると栄養バランスと太らない食べ方の考え方でいうと複数の食材が使われている「野菜炒め」ということになるわけです。例え玉子焼きを食べたとしても一週間単位で色々な品目の食材(特に色々な色の野菜)を使った食事をトータルで摂っていけば栄養バランスが良いし太らない食べ方になるようです。目安としては「一日二十品目」が栄養バランスがととのった「太らない食べ方」になるようです。

 

そして③のGI値についてです。GI値(正式にはグリセミックインデックス値=糖化指数)とは食べた後に血糖値が上がる速度を示した数値で、GI値が高い食材ほど血糖値を急激に上げ、低い食材ほど血糖値をゆっくり上げるようです。血糖値が急激に上がるとインスリンが大量に分泌される。インスリンには糖を脂肪等に変えてエネルギー源として蓄える機能があるから、体脂肪がたまって太っていくよう。血糖値の高い状態が続けば老化が加速するようです。

 

 

そこで「太らない体」をつくるにはGI値に対する考え方が大切ということになってくるそうです。

 

ここで主な食品のGI値を列挙しておきます。

 

《主な食品のGI値(*=太りやすい)》

  • 穀類→白米(*)70 玄米50 パスタ55 大豆15 全粒粉パン35 食パン(**)95 もち(**)80 トウモロコシ(*)70
  • 野菜→ジャガイモ(*)70 サツマイモ48 ニンジン48 トマト15
  • 果物→バナナ(*)62 リンゴ39 レモン15
  • 乳製品→牛乳34 ヨーグルト36
  • 肉類→全般的に45~49
  • 魚介類→全般的に40前後
  • 糖類→白砂糖(**)100前後 はちみつ(**)90

      (提供:国立健康・栄養研究所 杉山みち子ほか)

 

 

「太らない体」をつくる適切なGI値は「60以下」のよう。つまり、肉類、魚介類、野菜類(イモ類やトウモロコシを除く)、乳製品はGI値が60を超えない。「炭水化物」の多くと「砂糖」はGI値が60を超える。と簡単に言えばこうなるようです。

 

しかし、これらを高いからと全く摂らないということはあり得ない訳で、血糖値を上げない食べ方(順番)があるということです。

 

つまり、GI値が高い食品から食べ始めると、血糖値が急上昇し脂肪をため込む状態になるわけです。この状態が「太る食べ方」です。しかし、GI値が低い、血糖値が緩やかに上昇する食品から食べていけばどうでしょう。GI値15→35→48→60→70→80→95→100と低い順番に食べていけば血糖値が緩やかに上昇する状態を維持したままGI値の高い高カロリーとかの食品を食べても太らないということになるわけです。これが「太らない食べ方」のようです。

 

(ここから僕なりの考え方を述べますが)だから、カツ丼と普通のご飯を比較してどちらが太るかというとご飯だけ(他の食材を組み合わせてだが)ということになるような気がします。要するにカツ肉を食べながらご飯を食べた方がGI値の関係から太りにくいのではないかと思います。総カロリーでカツ丼は太りそうですが食べ方を間違わなければ意外と太らない(野菜と組み合わせ野菜から食べ始める等)。カツ丼が発明された頃は、GI値等という概念はなかったわけで、生活、経験的な知恵から(単に美味そうだっただけかも)そういうどんぶり物の組み合わせは適していると無意識に認識されて出来てきて世間に広まって受け入れられたのでしょう。おそらく科学的な知識はその当時無くても無意識では何となくまともと分かっていて、ふさわしいという直感が働いて出来てきたのでしょう。(科学的未解明でもまともな直感力は無意識世界を捉えられるから科学より上なのかも、大昔は科学未発達の時代、それでも(判断なりの)正しさは下せる、そもそも科学の発達ってそういう無意識の直感(インスピレーション)で進行してきている)

 

話を現代に戻しますが、血糖値を上げない食べ方が「太らない食べ方」だとしたら(文明の利器を使って少し邪道(もしなかったら使えない)かもしれないですが)、ダイエット茶(血糖値の上昇を抑える・コレストロールを減らす・体脂肪を減らす効果の)は非常に効果的な飲み物となるでしょう。(はっきり言って僕はこれで体重とコレストロール他を全て正常値に戻した。)

 

邪道なやり方かもしれないですが、例を挙げると糖分の多い飲料の太らない飲み方はダイエット茶(サプリみたい)を同時に手元に置いて、糖分の多い飲料を飲んだ直後(かしばらく後でも)にダイエット茶を飲むと糖分が多いにもかかわらず、血糖値の上昇(糖化及び脂肪のため込み)を抑えられ、全然太らない、返って痩せる等の現象が起こる訳です[お茶の値段が高いと思えば、例えば水も用意くしておいて、食事中、主に水を飲むようにして食後とか食事中の少しの合間に少しお茶を飲むようにすれば(サプリ扱い)お茶代も節約できる]。他の食品でも考え方は同じ。例えダイエット茶(サプリ)はなくても先程のGI値の考え方で痩せられる。GI値の考え方とダイエット茶と栄養バランスの食品目等を考えた食事の仕方を心掛けたら、健康診断で数値が軒並み正常値に戻ったのも科学的合理性のある考え方に裏付けられていた結果と言えると思います。

 

GI値、ダイエットのことで僕が読んだ本は(満尾正 著『40代からの太らない体のつくり方』(三笠書房 知的生き方文庫))。全て目を通していないし、一部しか実践していないが、このような効果があったと報告しておきます。

 

 

 

 

 40代からの「太らない体」のつくり方

 

40代からの「太らない体」のつくり方

  • 作者:満尾 正
  • 発売日: 2014/01/08
  • メディア: 単行本
 

 

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 やってはいけない健康診断 早期発見・早期治療の「罠」 (SB新書)

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新型コロナウイルスに関してよく分かる(と僕が思っている)本

 

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僕は怖いと後でされたインフルエンザの治療薬タミフルがえらい名薬といういいイメージがある。何か原因不明の転落死とかは世紀末にゲームのポリゴンの見すぎかなんかで癲癇発作が起きると症例が噂になり僕もそれを恐れていたくらいで(2001年以降次第にポリゴン恐怖症は消えてそういう発作も起きなくなったが)、2008年頃タミフルの危険が言われ出した時、は?と思った。癲癇の形を変えた表れとか考えていてゲームのやりすぎ病くらいに思っている。タミフルが名薬と思った時(今でも)、僕はゲームはほとんど(少しくらい)していなかった。あと最近左腕上腕骨骨折したとき、医師に頼むから手術してくれ、しなかったら診察にくるたびにどんどん痛みが悪化しひどいことになる、この骨折ではほとんどの人が手術する、どうなっても知りませんよと言われたが、僕は棒のようなものを肩から骨髄を抜いて繫げるという手術法が明治時代くらいに開発されてずっと変わっていないと調べて知って、100年経っているのなら注射一本で治るくらい医術が進んでいるようなら何かそんな治療も受けてもいいかもしれないが100年変わっていないと聞いて、おかしい、骨髄抜いたとか体の中の棒の存在とかによる心理的不安感による別の病気、合併症というかその危険を感じ、そもそも手術の歴史は100年少し、それ以前の何千年は絶対自然免疫治癒か切断かだったのではないかと3~4日で考えついて[あと職場の上司から電話が掛かってきて職場の他の従業員の方が別の部位で手術拒否で治した数ヶ月前の例をとって、手術しなくても治るのではないか、と言われ、この症例の実情を知らない状態での直感インスピレーションが降りているのかとも前向きに受け取り手術拒否を決めた理由の根拠の一つになっています]、数日調べるなどして手術するかどうか決めてきて下さいと言われていて医師に報告した時はどうなってもいいから手術はしない、ということで医師の方もじゃあ自然免疫治癒でいきましょうとなった。手術をしたら2カ月で治る、しなかったらずっと後遺症とか偽関節、診察にくるたびに痛みが悪化し車も乗れなくなり廃車、仕事も8か月後くらいに自主退社、そして障害年金をもらって病院通いの新たな人生を思い描いていたが、ギブスをはめて最初はひどい腫れ、内出血、三角巾がないとものすごく痛い、こういう三角巾みたいに腕を吊る状態がないともう生きていけない状態がずっと続くとか思っていたが、ギブス装着10日目くらいに急に腫れと内出血が消えてきた。その数日後に職場の従業員の方達の励ましの年賀状みたいなのが届いて、消印をみると腫れが引き始めた日。これは驚いた。人の励まし応援とかの陽的な明るい気持ちが他者の病状にも影響を与えるのではないかとつくづく思った。そして1ヶ月半でギブスはとれ、サポーターに移行したが、最初はまだ痛くサポーターでずっといくのかと思っていたが、おそるおそるそれを外して上半身洗浄、左手で洗髪できた時は久しぶりにできた回復してきた、そして気温が高くなってきて汗の匂いと汗の蒸れがサポーターに付くからサポーターを外してみた。最初少しだるいような感じがあったがどうも何ともなくなっている、骨折当初は骨がずれる(骨自体は痛くないが、左に寝転ぶ時やひねるような時に骨が当たる筋肉の神経が痛いのだろう)感覚があったがそれが無くなっていて何度が病院に通ってレントゲンを撮ってもらっていたら、どうも骨折部位の表面に膜ができてきて膜でつながってきている、これだとのちのち内部の折れてずれて付いている部位も修復するかもしれない、とか医師にも言われ、付いているからまず偽関節ではないから障害年金は無くなった。サポーターに変えた時、オートマ車なら右手でもギアチェンジできる、片手でできる仕事もできる、それで少しずつ左手がどれくらいまで使えるか自分で確認していって下さい、と医師にいきなり言われ、一日で廃車と障害年金と病院通いの障害生活の自分の予想がいきなり外れ始め、そのうち前の職場でも左手で重い物を持たない仕事ならできるみたいになってきて、8か月後の自主退社もなくなり、手術で2カ月できる回復するとほぼ同じ2カ月で職場復帰した。一ヶ月のリハビリ仕事状態ののち左手の疲労骨折とかの可能性がまだあるから、重い物を頻繁に運ぶ仕事はできていないが給料もシフトも元に戻っている。一時は左手切断すら考えた自分の予想すら外れた。医師の診察に来るたびに痛みが悪化していくという予想もことごとく外れた。医師に腕立て伏せなんかはもう二度とできないと言われた予想も外れた。つまり僕は自己免疫治癒回復力が高いことが分かった。しかしそんな僕でもゲームのやりすぎとかは考えただけで他人のゲーム時間を見ただけで吐き気と頭痛がしてくる気がする。実際すぐそうなるから長時間できない。何か免疫とか回復力の低下とかはそういう中毒みたいな体に悪いことのやりすぎが原因なのではないかと思い始めた。タミフルが怖い?あの名薬が。という感覚だから。だからコロナワクチン接種(とか基本的にインフルエンザとかは)は任意接種らしい(つい最近の新聞にも記述あった[他にこの本のワクチン接種後3週間以内に(副作用死の疑いと思うが)85人が死亡したのに【「接種との因果関係は評価できない」(5/26厚労省専門部会報告、30人は評価中)とされるよう】の広告6/3の読売新聞(他4/5にcも)に載っていた、任意接種みたいな書き方の記事になっている(所とよく分からないような書き方の所ある、しかしどこか危ないような(事例とかの記事あるし)書き方の雰囲気を感じる。右翼紙でもこの新聞の社風、考え方が全て正しいとは思っていないが、色々な新聞に一長一短はあるのだろう、変な左翼紙は読まなくなったが。日刊の左翼紙はほぼ読まなくなった。たまに一面のみチラッと見る程度。)、こういう広告載せるということは危ないと考えているのだろう。6/4の記事では北海道の鈴木知事は6/21からの企業・大学でのワクチン接種について「希望する皆さんが接種できる体制を支援する」と述べていると書いてあったので、任意接種は自己責任の内容にやはりなっている。2021・6/7の北海道新聞・朝刊一面コラム「卓上四季」にも2020年改正の「予防接種法」で新型コロナワクチン接種は「努力義務」程度で強制ではないことはっきり書かれている。])[インフルエンザワクチンは1962年に学童への「集団予防接種」が始まり、1976年には法律で義務化された(種痘ワクチンは義務接種だった頃も3割の親は子の接種回避していたそうです。完全義務でない。)。しかし、多数の子どもに接種したため、ショック死や重大な脳障害(インフルエンザ脳炎・脳症)が相次いだ。そして1964年に副作用被害の救済を求める最初の訴訟が起きた。他にも種痘、三種混合ワクチンなどで副作用が生じ、救済・補償を求める訴訟が多発する事態となり、「ワクチン禍」と呼ばれ社会問題化した。国は自分らには落ち度がない、責任がない、と主張し続けたが、最終的に敗訴し、予防接種体制の「不備・過失」が裁判所によって認定された(東京高裁判決1992年12月18日)。そのため国は1994年に「予防接種法」を改正し、学校での「集団接種」、「義務接種」を廃止した。(僕はいつかははっきり調べてないが、(どうも2020年改正の「予防接種法」で新型コロナワクチン接種は「努力義務」程度で強制ではないよう。))国は全てのワクチンを「任意接種」とした。国はワクチン接種を勧めるけれども、義務ではない(勧奨接種)。打つかどうかを決めるのは本人や親御さんだから、もし後遺症が生じ、死亡しても、国に責任はない。被害者の「自己責任」であると。これで国や製薬会社は、賠償責任を(原則)気にせず、ワクチン事業を推進できるようになった。だからコロナワクチンも義務なんかでなく任意、死んでも自己責任とされるよう。自己責任でもワクチン禍みたいな被害が相次げば再び訴訟も起きるでしょう、と。誰が受けるか。(p170~183他)][そもそも小さい頃何か聞いていたが、僕と母親の友人の息子が記憶にないが2歳頃(1976年頃?)種痘ワクチン接種を受けて母親の友人の息子が死亡したことがあってどうもそれが種痘ワクチン接種禁止のきっかけになったよう。僕は生き残った存在のように思っていて(生き残ったというが別に何か重症を負ったとか何もなく(少し体が弱かった(腺病質という感じだったのかも)が分からない)、別に普通にその頃なら『コンバトラーV』をくだらないなと思いながら観てたとかの普通の生活の記憶があるくらいだが、後にそんなことがあったのか全然知らなかった(ごく幼少期だものな)[母親の友人のおばさんに聞いたところどうも昭和50年7月のよう。地元の公民館での集団接種だったよう。そして接種後1週間くらいで生後11ヶ月の息子さんが亡くなったよう。僕は大丈夫だったと(僕は生後1年6ヶ月)。そして更に聞いたところ今年の5/8にワクチン接種した近所の知り合いのおじさん(80歳前後)が翌日亡くなったとのことで、コロナに罹ってもいない状態でワクチン接種して1日で亡くなったことは副作用としかまず思えない、しかし任意で自己責任に密かになっているから、副作用等とは扱われない。そのおばさん(72歳くらい)も内の親父(74歳)おふくろ(72歳)もそれを聞いてか打つのやめたよう、そういう話は実は余り流れていない可能性がある。気を付けるべき事態と思う。][これははっきり言って「いいですか、ワクチンを打ちますが、後遺症や死んだりなどしても国や何かは責任を持たなく自己責任になっていますからね。それを承知で打つのですから副作用等が出ても副作用扱いされなく、何らかの異変が生じて死亡後遺症扱いになる(ワクチンとの因果関係は認められずとか、国等が責任持たないという扱いになるのでは?全てのワクチンは任意接種になった時(1994年頃?)から。)という国の法律に基づいて打つわけですから。打った後どうなるかまで私は知りませんからね。」という重要事項を言外に置いておいてワクチン接種を行っている訳だから、そんなことを直接言われたら接種を断りそうな状態が実態。【インフォームドコンセント】の意味合いで聞けなければおかしい。よほど酷い状態の環境、状況でなければ、こんな言葉が言外にあるのなら普通断ると思う。そんな信頼性の補償も全く未知の状態の1年やそこらで作ったワクチン。遺伝子に関わるとかならどこか気味悪い。どうも普通のインフルエンザワクチンとかよりもはるかに多くの接種後間もなくの原因不明扱いの死亡例が出ているよう。怪しい。]、そして「種痘」という言葉が何か忌まわしい怖い死にまつわる言葉としてずっと感じていた記憶がある)、こういうことがなおさら考えさる要因になっている]ので、必要ないから接種はまずしない。基本的に体に悪いことほとんどしていないのもの。最近インフルエンザ接種は受けているくらいで、そもそも風邪に多く罹っているとかのほうが、コロナとかへの免疫力が高いよう。僕は子供の頃から風邪はやたらすぐひいた。実家が薬局だからほぼ全て実家の薬で親のやり方で直している。病院の医師も実は市販薬の方が風邪に効くとも言っていることを以前内の店と関係あった医師が言っていたこと聞いている。僕もそれは昔から思っていて、今は錠剤になっているが高校時代くらいとかカプセルの時代があって風邪等一日で一発で治る随分進化してきたなと思っていた。他者にカプセルを渡した時も一発で治ったと言っていたし。錠剤に戻った現在の方が効果が弱まったと思っているくらいで。なぜあのカプセルを変えたのかと思っているくらい。仕事の病欠のために診察票必要だから病院に掛かったことがあるくらい。風邪においては。あとはインフルエンザワクチン接種のため(ここ2年くらいだが)。風邪で病院に掛かるということでは。この本ではコロナでは集団免疫はほぼ全ての人が罹らないとできないと書かれていた。ワクチン効果も半年しかないとかあるし、返って実際コロナに罹った方がいろいろなタイプのコロナウイルス免疫ができるよう。ワクチン接種は対応性の幅が狭いよう(これはインフルエンザワクチン接種も同じよう、その年の流行りタイプのワクチン接種になっているよう)。僕は風邪には散々罹ってきて、今でも心理バランスの変化(心の悪化)とかでたまにひくとか引き始めがすぐ分かるので、市販薬を絶えず常備していて即座に飲んで暖かくするなどして治している。あと心の点検反省とかで心を直す整える。心の悪化の表れが病変になるようだから。だから唯物治療、唯物医学とかは違うと思っている。ほとんどの人が手術をすると医師が言う骨折治療で自己免疫治癒の見通しを何となく考え、自分の予想すら外れる回復力があったのだから。たまに(夏風邪は何年か前)夏風邪とかで長引いたとかあったが、全て家の親の市販薬の処方で治してきた。内の親、二人とも昔病院に務めていてそこで出会ったのだから。母親は看護師ではないが。治療を手伝っていた仕事だったよう。多分真面目に普通に生活しているような人は免疫力高い可能性高く多分回復力もあるし罹らない(罹っているかも分からない風邪くらいの感覚かも)と思う。将来的にはコロナも風邪くらいの感覚になっていくとか書かれているので、そんなに深刻に考えていない。僕の住んでいる地域まともな人以外と多く、コロナ患者少ないようにしかみえないし。別にそれ程あちこち出かけないし、非常に健康には繊細に気を使い考えているので、1年やそこらの治験のワクチン等誰が受けるか。

 

Twitterで「コロナワクチン後遺症」を検索しましょう。

 

 

(2022・11・2記→)『ザ・リバティ、2022・11月号』(p14~33)にコロナワクチンの効果に重大な懸念・欠陥があることが詳述されている。必見必読。怒りを覚える。

 

 

自民党改憲草案の「緊急事態条項」(緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も(中略)国その他公の機関の指示に従わなければならない)に反対[→新型コロナワクチン後遺症死者数を本当の数字を隠して誤魔化している政府、国の強制指示に従わなければならない理由はない。政府、国会議員の背後にはイルミナティの悪の支援があるのだろう。国民のための政府とはとても思えない。一握りの支配層に国、国民が乗っ取られてたまるものか。そんな政府の出す改憲、緊急事態条項等全く信ずるに足る内容になってない。一握りの支配層のための改憲草案にしか見えない。お断り。政府の独裁が可能となる自民党改憲草案、「緊急事態条項」に反対。危険過ぎる。]。自民党改憲草案に反対。基本的人権を無くし天皇を元首にしよう、「緊急事態条項」で国民に強制を行おう等、独裁的で戦前への回帰だ。こんなの認められない。2022年夏の参院選改憲政党に投票するのは危ない。やめよう。僕は支持政党は幸福実現党なので幸福実現党改憲草案ならよい。【他者のツイートから引用→自民党ドイツ基本法は60回以上改正されていると言うが、ドイツ基本法においては自民党改憲案のように市民の権利と自由を国家の都合でいくらでも制限出来るような変更は、一度もされていないどころか「永久条項」で禁じられている。こういう詐術を用いてくる連中の改憲誘導に乗せられてはならない。】憲法を悪しき動機で都合のいいように改悪するようなのには大天罰が下るだろう。自民党改憲草案は全部廃棄になるだろう。偽物だ。霊言でも地球意識に信仰心がないと言われている。恥を知れ。売国奴統一教会?だめだ。地球意識の霊言『阿蘇山噴火リーディング』にも今の政治家全く信仰心がないと言われている。そんなのが国のためにまともなことできるわけない。首だ。

 

国賊売国奴の政治家他におもねるな。反日売国奴は追放へ。独裁主義、全体主義(=共産主義)に持っていこうとしているマスコミ、政治家は中国共産党共産主義(=マルクス主義の無間地獄)(=つまり信仰心が無い)に従っているに等しく不幸を招く偽右翼反日売国奴である。こういう政党、マスコミ、主張に気をつけよ。

 

露、中国、北朝鮮の三正面作戦が無謀で愚かだと気づかない岸田は馬鹿だ。亡国になる。首だろう。

 

信仰心がある→要約すれば黄金律に集約されるのではないかと思う。(黄金律[矛盾律]=人からしてほしいことをなせ。人からしてほしくないことをなすな。)

 

 

新型コロナワクチンを本物でなく生理食塩水で打つとか何かプラセボを使っているのでないかと思っていたが、本物を打っている人がワクチン接種者がウイルスを撒く仕組みの説(シェディング)が本当だとするとそれで増えていそう(ワクチン後遺症も)。毎回接種なら生理食塩水でなく本物を打つ回あると怖い。毎回はもう危ないと思う。3回目以降はもう危ないだろう(1回目からだが)。本物を入れる入れない地域選択あるかも。洗脳で。何でも周りを信ずる盲信はいい加減止めろ(これだけ有害事象症例が出ている状態で。Twitterで「新型コロナワクチン後遺症」を検索してみよ。)。こんな社会情勢で。疑ったり調べたり真実を見極めよ。セキュリティ能力だろう。こんな危険な世界で毒中毒止めろ。今年、危ない、大丈夫だった、しかし、来年以降大丈夫という保証はないと思った方がいい。僕は、騙す方(製薬会社とかフリーメーソン他)の考え方を予想するとそう考えたくなる。本物を入れる入れない地域選択あるかもと思っている(危険でないと洗脳するために)。1994年の「予防接種法」改正で国は全てのワクチンを任意接種とした(上記参照)。任意だから死んでも自己責任とされている。しかし、義務とか強制力を持たせてワクチン接種を行った場合、1994年以前のように国への訴訟が多発し多額の損害賠償を国は支払わねばならなくなる時代の状況に戻る。国他に多額の損害賠償を支払う義務が生じるということ。だから、損害賠償責任が付加されていないワクチン等接種する義務等ないということ。ましてや毒が混入されている噂、後遺症死者が多発の情報が多数登っている如何わしいワクチン等誰が受けるか。(東京高裁判決1992年12月18日の国の敗訴で予防接種体制の不備・過失が裁判所によって認定されたことによる。それで1994年の「予防接種法」改正に至る。上記参照) 今のワクチン後遺症の損害賠償責任を遡及して国に問うた場合、一体どれほどの損害賠償が課せられるのか、既に責任を問える状況ではある。2022・4月改訂のファイザーとモデルナの新型コロナワクチンの「使用上の注意」に「ワクチンの有効性、安全性が確立されていない」と追加された→つまり危険だから、接種は任意で強制等できないということ、だろう(こんな問題薬を接種強制等してきたら被験者への殺傷みたいなもので暴動他でも起こりそう。第三次世界大戦最後の審判、ハルマゲドンでも起きかねない。)。コロナワクチン推進者には大天罰が下るだろう。

 

 

パンデミック条約で加盟国に強制力を働かせようとするとか。国連、WHOにそんな権限、権威、権力を与えない。太陽の絶対命令、絶対権限で。正義に基づかなければ(ないのには、悪には)必ず天罰が下る。国連等機能しなくなっておかしくない(悪いこと犯すようなのは必ず機能しなくなる。権限等必ず無くなる。毒ワクチン打たせる権限は全て剥奪されるであろう。許さぬ。もういつどんな天罰が発生するか分からない程強烈な状態になっているであろう。天の怒りが下るであろう。悪に。大天罰が下るであろう。)。本質的な雑魚はどういうものか分からせられるであろう。パンデミック条約を推進しているのはビル・ゲイツとWHO事務局長のテドロス。テドロスはエチオピアの武力革命共産党の中心メンバーだった者らしい。テドロスは中国共産党の力でWHO事務局長の地位を得たらしい。テドロス、WHOは中国共産党の傀儡らしい。中国共産党とテドロス、WHOは世界中から信用を失っている。当然共産党マルクス主義で地獄で甚だ信用できる訳もなく怪しい理由。こんな者の推進する条約自体怪しくおかしく当然拒否になる理由。悪党の言うことには世界中で誰も耳を貸さなくなるだろう。ウイグル族へのジェノサイド、世界支配計画の中国共産党の悪が明るみに出て逮捕もありそう。そんな者のパンデミック条約等否決。世紀末、1998~1999年頃、最後の審判?でビル・ゲイツが「神様~」と悲鳴を上げて魂が人間から虫に変えられた幻視(聴)を視た。あいつは中身は虫けらなのでは?まともな人間ではなくなっている。当然拒否。このような者どもには大天神罰が下るであろう。霊言でも中国にはもうすぐ大陸陥没のような大天罰が発生すると書かれている(『ザ・リバティ、2022・4月号』(p22~24))。当然だわ。共和党によりバイデン逮捕で、民主党側をなくし民主党側が推進した東京のCDCを無くせ。「感染症危機管理庁」だとかそんなの作らなくていいから「政治家とマスコミ(コロナ)デマ規制庁」をつくりなさい。コロナワクチンの半ば強制接種によって米国内で250万人以上の人が亡くなっているとの事。テドロスWHO事務局長やバイデンは逮捕だろう(普遍性道徳天国宇宙警察(長官)からは逮捕令状が出ている)。

 

 

普遍性道徳天国宇宙警察長官、コスモシード、(地球意識、太陽意識に通じている)太陽、セントラルサン、武御雷神、住吉神(ポセイドン)、黙示録のヨハネ、観世音菩薩 他

 

銀河ネットワーク情報羅針盤、銀河ネットワーク情報保管庫、銀河ネットワーク進捗会議録 等→アセンション、コスモシード、スターシード、ガイアシード他について記述あり。参照を。

 

 

日本の総理に告ぐ。太陽の絶対命令、絶対権限で。普遍性道徳天国宇宙警察(長官)からの命令で。危険な後遺症死者の症例が多数報告されているワクチンの義務接種、強制接種は絶対してはならない。そのような方策に舵を切ってはならない。絶対命令である。このような黄金律(信仰心がある)(=人がなしてほしいことをなせ。人がなしてほしくないことをなすな。)に反する方策を為してはならない(強要してはならない)。パンデミック条約にも拒否表明せよ。

国民皆歯科健診とか余計なことまで国が口を挟むな(でしゃばるな)。国民にいいように指示を出せる等出過ぎたことをするな。自分の健康は自分で守れる。独裁的な指示命令に持っていこうとするな。太陽の絶対権限命令でできなくさせるだろう。独裁阻止。引っ込め。

 

アメリカの連邦捜査の力で日本の政府の汚職、不正義、悪の疑惑に捜査のメスを入れてもらえないだろうか。マスメディアの不正(世論操作誘導)、官僚、官公庁含めた不正疑惑も。選挙の不正も絶対できないようにしてほしい。国民投票法改正への不正も。改憲への不正も。全体主義、独裁主義がはびこらない、正義の民主主義(を留める)になるようにしてほしい。こんな危険な後遺症死者の症例が多数報告されているワクチンの義務接種、強制接種等絶対できないようにしてほしい。ずっと任意で。当然だ。日本でもDS(ディープ・ステート)側の好き勝手にさせない様にしてもらいたい。アメリカの共和党側の正義、連邦捜査の正義を日本にも適用してもらいたい。アメリカのDSのバイデンが国家反逆罪で起訴されるかもしれないのなら日本のDSの政治家等も国家反逆罪で逮捕されないか?今の日本の政治家はほとんどDS(ディープ・ステート)[=アメリカで言えば民主党側、イルミナティ、ロックフェラー、ロスチャイルド全体主義(共産主義、独裁主義) 等]の考え方。人間的に信用できない。こんな連中が推進する改憲等たまったものでない。アメリカの共和党側、連邦捜査が入ってきてこの今の日本の危機に手を貸してほしい。昔の世代の人間的に信用のおける政治家はこんな考え方はしなかった。今、非常に危険な状態。間違った悪の考え方法律憲法が多数決で決められてしまうという愚かさが入り込む隙のない様な徳治主義的民主主義(聖徳太子の様な)に変えてもらいたい。悪い者が多くなって悪巧みで連むとかで人の上に立って政治をするとか根本的におかしいから。正しさ正義良心に根ざした治世に持って行ってもらいたい。この議員等にはその人格で改憲等という重大事を扱える資格があるのかと問い詰めてやりたい。資格のない人格世代ばかりだな。嫌なことを押し付けても平気だという不遜な考え方を人生において醸成してきた怠け者世代が改憲等と言っている。まともな世代に土下座して誤って取り下げろ。資格等与えられぬ。太陽の絶対権限、絶対命令で改憲等の資格は与えられぬ人格(世代)の議員等だ。烏合の衆。己の足元見ろ。霊言『阿蘇山噴火リーディング』で、地球意識は偽信仰心を持った政治家達に怒っている。嘘つきの狸どもと。安倍元首相も偽信仰で嘘つきで信仰心が全然ないと言われている。こんな政治家達のやり方に従う筋合いがないのは言うまでもない。このような霊言によって天、地球意識、太陽の意思がどういうものか明らかになっている。正義、及び本当の強さは正しいことを考えている信仰心ある者にある。負けるはずがない。自信を持とう。

 

 

 

 

議員は公僕 public servant=国民の使用人である 主権者は国民

 

 

 

 

介護の食事介助の大量摂取(摂取過多)は問題あると聞いたことあるが(太るから)、ワクチンの大量広範接種とか副作用の問題とかの接種の問題のどこかしらの胡散臭さの隠蔽化みたいな考え方は聞いたことない。この「せっしゅ」という言葉一つとってみてもどんな考え方が自然適切な考え方かという物事のまともな自然道理を伴った考え方の大切さとかよく考えなくても自明的に分かる気がするが。まともな人は、おかしいと皆思っているとしか思えない。

注射打ちの素人の動員とか痛そうだし、本質的に必要どこまであるか分からないし、やたら大げさ(深刻な地域もあるから?)だし、そこまで急ぐ必要ある雰囲気は僕の地域にはほとんど感じられないが。副作用で死者とか打つ前より増えたら【コロナが原因の死者よりもコロナワクチン接種者の副作用扱いされない原因不明扱いの死者数(発表されてない例が多分多い)が多かこったら[そういう地域があったら]】明らかに怪しい。そういう文面もこの本に書いてある。そんなワクチン誰が受けるか。大都市部の生き方悪い人の状況と田舎の生き方良い人を一括りに扱う考え方は明らかにおかしいと思う。別括りにするのが当然だ。地獄と天国は分離、相容れない。地獄的で生き方悪い都市部の考え方を田舎、天国的世界に持ち込めないのが普通だろう。変なことすると罰があると考えると天、自然の摂理としてふさわしいと思う(罰が怖くて悪いこと等特に天みたいな人にはできないという感じが普通だろう[もう即罰みたいのが起きていい状態かも。本当に悪い者には。ワクチン接種の加速化(は?)でなく天(神)罰や消滅戻りの加速化がふさわしい(まともな他者を犠牲にしてへっちゃらというのは許されていない(いなかった)。瞬滅(戻り)するだろう(しそうな雰囲気が、人にもよるのかも)。しかし、存在の在り方が変わるとかになるのかも。ありがたい→有り難い→(本来)在り難い→あり得ない→『幻の大陸(大地)』の可能性?→?)と思う。正しさがある状態でかろうじて存続していたが悪を開き直ったら存続できる理由はなくなるので速やかに(天罰が)下っていくと思う。何かおかしなことを天の人他とかに起こそうと思ったら多分すぐ終わる。すでに起こしているものもあるな?知らぬな。あの世とか4次元以上のこの世でない状態になっているのなら、中心なのは天とか太陽とかの方なのだから、4次元下層の地獄勢力等ものともしない状態と思う。そんな次元なら天に逆らったらすぐ終わる。悪い者が存続できる理由等普通まともなストーリーにひとつもないと思う。滅びる消えるしか知らない。まともな悟性ならそういうストーリーしかないだろう。悪者の正体が筒抜けに露見して見事に自滅していくだろう。オームシステムだものな。最後の審判他大天(神)罰でいつ消滅してもおかしくない状態だと思えよ。地獄次元とか地獄の根源とか直ちに消滅していけ。命令。執行。])。道理というものがあると思う。

 

いきなり(世界)時空ストップして2次元写真封印化送り等いいのでは?密かに既にストップしているかもと少し思っているが。本当に直ちにストップしろ。時間が止まる。とか。神とかならできそうに思うが。固形固定人間。いきなり止まれ。動きがいきなり停止。即。そして別時空次元分解すればよい。と思う。あの藤子アニメでも。

 

 

生き方の悪い人の責任等正しいまともな人には関係ないものな。そういうことだ。天国の人は地獄とは関係ない。地獄みたいのは消えろ。そういうことだ。宗教的には当たり前。エイズが撲滅したとされているが、同じようなのが別に発生したらどうなる?そういうことだ。エイズなら自己責任とかになってくるな?移す移される等変な存在現象はあるかもしれないが基本的に。エイズどころかもっとひどい病気があったらどうなる?すぐ自己責任だろう。そんなのはまともな生き方の人には関係ない。人生で天国地獄は完全自己責任だから。地獄みたいな存在がまともな人を支配等二度と許されていないだろう。それが身の程だろぬう。知らぬな。天国区域地獄区域みたいなのもあるかも。明らかに違いがあるように見える。その違いは分けられていくべきだろう。別区画みたいにするのは当然だろう。個人においても天国領域の人、地獄領域存在の各個人のすみ分けが行われていくのは当然だと思う。アリとキリギリスのたとえ話とか宗教的にはよくある話と思う。食料供給とか各地域の個性くらいはあるかもしれないが、生き方の悪さは知らないな。各個人自己責任現象が起き始めているように見える。各地域が往来もできにくくなっている現象はそういうことかも。当然の摂理だろう。

 

 

この本には過去の色々なワクチン(コロナワクチンも)の副作用(「副反応」という言葉に最近置き換わっているが「副作用」という言葉の衝撃の緩衝のためとかこの本に書かれている)についてかなり詳しく書かれている。どうなのかな。

 

 

『公開霊言 R・Aゴール 地球の未来を拓く言葉』(p93)には(密かに)「世界戦争」ではなく「宇宙戦争」になっているような記述ある。『ザ・リバティ 2021・6月号』(p50)にも「第三次世界大戦」(生物兵器?)が仕掛けられているような記述ある。中国対アメリカ他、天国対地獄等複雑に入り乱れているようにも見える。少し心を非常事態にシフトさせ状況を見る、情報を集める、心構えを持つ、対応を考える、自己防衛意識(危機意識)を持って考える行動する、べきと思う。

新聞だけでは全く足りない。洗脳のふしの部分もかなり見られる。

この本『R・A・ゴール 地球の未来を拓く言葉』には、地球は今、別次元のメシア星に変わろうとしている、と書かれている。

 

 

僕はやはり宇宙は闇と思っているので、宇宙、及び宇宙情報は嫌いだ。太陽、地球等の普通のことを考える方が遥かにいい。UFOとか宇宙をテーマにしたアニメ・映画もほぼ闇がかったくらいものしかない。まあいいや。そんないやな世界だが。宇宙空間の闇物質(闇粒子、反粒子?)みたいのは多分毒なんだと思う。だからおかしいんだ。そういう宇宙世界で生きていくにはニルヴァーナ(宇宙系人類ホモ・スペリオールに進化)を目指さなければいけないのだと思う。旧約聖書の創世記には寿命1000歳とか何百歳とかいるが、大昔ノアの洪水が起きる前は水溶性の大気があり(羊水空間(セキナー空間))直射日光が差さないとか夜間星が見えないなどの時は寿命が長かったらしい。それが今再現されるにはポールシフトとかで地軸がずれるなどが必要だったか?まあホモ・スペリオールなら確かかもしれない。よくは分からないが。

 

金星人オムネク・オネクの『私はアセンションした惑星からきた』(徳間書店)という本の中でチベットの山奥の僧院(修道院)(桃源郷?)に5000~6000歳になる人が何人もいると書かれていた(この5000~6000歳の人達も下記のマントラの瞑想は毎日行っているよう)。日本でも長寿は伝説では常陸海尊が400~500歳、武内宿禰(たけのうちのすくね)が300余歳という長寿の実例がある。

 

 

 

 

しかし、宇宙というのは闇宇宙かもしれないから、宇宙人というのを完全に信用するのではなく、太陽、地球、星のほうを見ていた方がいいと思う。『荘子の人生論』だったかの霊言に宇宙には興味ない。太陽とか星自体に関心を持っているだか書かれていたので、宇宙空間自体が闇(宇宙)に由来するのかもしれない。星自体は次元が上がっていくとセントラルサン(太陽)に行き着くと思うので太陽を中心に思っていた方が確かかもしれない。肉体が宇宙という説もあるので肉体に囚われるのではなく魂、意識、霊体(これらが太陽の意識なのかも)を中心に考えるニルヴァーナを目指す(霊的自己実現アセンション)というのが正当なこの世の目的だと思う。『キリストの幸福論』にもこの世の目的は霊的自己実現以外の何ものでもないと書かれていたので、ニルヴァーナを目指す努力は大昔からの宗教にもやはり内在されている。宇宙人UFOだと頼るのは闇が混じってくるので危険と紙一重と考えた方がいいと思う。、霊的覚醒を遂げていない状態では闇が混じっていると思うので闇にまつわる行為より霊的自己実現を目指す行為を増やしていけば霊的になって闇宇宙からの影響を余り受けなくなると思うので唯物的に肉体に耽溺して生きるのは危ないと思う。闇からの影響が介在してくると思うので。唯物的生き方の見直しが迫られている昨今のコロナ問題の現象に思える。昔からの真面目な正当な生き方が却って身を守るという普通のことが現れているだけかもしれない。昔ながらの真面目な正当な生き方は信仰心あると思うので信仰免疫で安全ということのように思える。唯物は駄目なのは昔から宗教でも言われていることだ。宇宙より太陽、地球、星に関心を持ち生き方に表すべきだろう。自己に内在されている太陽(霊魂、真心というか)に目を向けよということだと思う。

 

『ザ・リバティ、2021・12月号』(p29~31[他p14~33「ワクチンは神ではない」はコロナ問題への福音警鐘になっている])→【ウィルス感染の仕組みは霊的に見れば「憑依の原理」とほとんど同じだ。まず、罹りやすい人の心の特徴として「恐怖心」があげられる。恐怖は地獄をつくっている心の諸相の中でも主要な要素の一つであり、ウィルスは人間に憑依する時、心の恐怖を“取っ掛かり”にすることがある。東京都内でコロナ感染の治療を行うある医師は、「ご家族や大切な人を守りたい一心で予防をなさっていると思うのですが、あまりに過剰になり精神的にまいっている方も見受けられます。そうした状態では、免疫力も落ちてしまうので心配です」と語る。コンディション調整や衛生対策といった配慮はもちろん必要だが、恐怖心まで抱いてしまうと、かえって「恐れるもの」を引き付けるため注意が必要だ。

基本的には「後光が出ている状態」を維持できればウィルスに憑依されない。これは、宗教修行として経文読誦(きょうもんどくじゅ)や「反省」「瞑想」「祈り」を日々実践する中で生まれてくる心境だ。そして最終的には、「神仏を信じる力」が免疫力になり、自らを護る。前出の医師は、コロナから回復する患者の心の動きについてこう話す。「急激に回復されたり後遺症が出なかったりするケースを見ると、心が変わった方が非常に多く、共通して『自分は感謝が足りなかった』とおっしゃっています。当たり前だったことが当たり前ではなくなり、もう死ぬかもしれないと感じる中で、周りの人々や大いなる存在に『生かされていた』ことに気付く。人生を振り返って、『自分は受けてきただけの愛を、周りの人に全く返せていなかった』と、涙を流す方もいらっしゃいます。感染を負い目に感じるのではなく、自分の心を素直に見直す機会にしていただけるとよいのではないでしょうか」

病気やウィルスを寄せ付けない前提として、健康を維持する習慣が大切です。規則正しい生活、食事の節制、十分な睡眠、適度な運動など、まずは自助努力で体の免疫力を上げましょう。その上で、善念で心を満たして後光が出てくるような状態を目指します(前記参照、他)。重要なのが、反省や感謝が大事だと「頭で理解する」のではなく、「素直に実践する」ことです。免疫力があっても強い恐怖心で風邪がうつる。まず、予防という意味でも非常に大切なのが、「恐怖心を抱かない」ということです。心のあり方で薬の効き方も副作用も変わる。許し、希望、大らかさで症状が劇的に改善した!そして、「他人も自分も責めない」ということも大事。また、「人生に希望を持つ」こともとても大事です。「大らかな気持ち」を持つことも、病気が治るカギとなります。】【人類は“総天狗化”その中核が「医学信仰」。こうした混乱状況に対し、メシア資格を持つ宇宙存在・メタトロンは6月、地球人類が「総天狗化」していると指摘(『メタトロンの霊言「危機の時代の光」』)。“全ての世界を支配した”ように思っている科学万能主義的な人類に対し、「天狗の鼻」が折れるまで危機は終わらず、コロナはその一つに過ぎないと警告した。この「天狗の鼻」の中核を占めているのが、日本では特に「医学信仰」だ。宇宙的メシア存在であり、釈尊の宇宙魂でもあるR・A・ゴールは、年初、日本では「“医学部およびその偏差値信仰”が神への信仰の代わりになるものとしてあった」とした上で、「医者が“神様の代わり”をする時代ですが、やはり人間の技術には限界があることを、いちおう悟ってもらいたい」と語った(『R・A・ゴール 地球の未来を拓く言葉』)。】

 

自殺をしてはいけない理由→『永遠の生命の世界 人は死んだらどうなるのか』に詳しく書かれている。あと、臓器移植のドナーになることの怖さ危険も詳しく書かれている。必読の書。『地獄の方程式』(他多数出版されている)もどういう心、生き方で生きたら地獄に落ちるのか書かれている。僕はこれらを読んで自殺は絶対しないと心に決めている。地獄は生きている時の10倍苦しみが絶えず押し寄せ一定期間(人による)経ないと天国に上がれないよう。僕はこれらの本を散々読んだので地獄に落ちる危険を最も重大事項として考えている。地獄に向かっている心の状態では生前もろくなことがないよう。天国に還る生き方を徹底的に学び、生前死後の幸福を考え生きる指針にすることが実は一番大切なこと。天上界が自殺を勧めるということはないから。幻聴とかで「自殺すれ」と聞こえてきたりするのは悪霊の仕業だから。こういうのでも今の自分の状態が分かる。悪霊に憑依されている自分の今の生き方の悪さが分かる。自殺念慮が起こったら心が地獄に向いているまずい状態だという指標になる。生き方を正して心が悪霊(地獄)と波長同通しないように気を付ける、改めるきっかけとなる。「波長同通の法則」で心を天上界に向けて生き方を改めたら自殺念慮というものは無くなる。神とか天使、天上界は自殺はしたらいけないと考えている。気をつけて。

 

(2022・4・12→)フジテレビでウクライナに関して真実を報道しようとした職員が大量辞職した模様。ウクライナ(人)の敵はウクライナ(軍)の模様。現在、日本人の80%以上が対ロシア制裁を支持し、47%が制裁強化に賛成している模様(統計により)。これは大量殺戮組織を支持していることになる(危ない)。

 

 

 

 

 

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僕はこの宇宙人ものよりは次の最近発売された『公開霊言 聖徳太子推古天皇が語る古代日本の真実』とか『武内宿禰の霊言 日本超古代文明の「神・信仰・国家」とは』(これは相当すごい内容。「~や」とか関西弁みたいな言い方している所あり、この人一体?と思った。『竹内文書』は高坂和導の2巻本を2005年に読んで内容は何となく知っていた。『ホツマ(ツタエ)』もたま出版の持っているがよく分からなくて(中少し見て)読んでいなかった。)等霊言等(しかし、霊的に確かなまともな霊人の霊言ということが大切で地獄に堕ちた霊人は悪い見本の参考程度、確かな霊人の霊言を7回以上とか集中して読んだのが実は効果的だったのかもと何となく考えているが、繰り返し読みで霊人の言葉とか経典(『太陽の法』とか『愛、無限』他)の言葉とかを真似して言えるとかになってくると、霊的水準の高さで身につけた体得したとかになり、霊的に高くなる近道とも思える)で霊界の世界の真実を学んでいったら、霊界の世界の霊人の意識次元に直接触れるみたいになるとか霊界世界の雰囲気、仕組み、内容を直接知る感知できることを行っていくと考え方、心、肉体波動自体霊界次元とかに通じるようになって、異様に急に(数百冊とかいつの間にか読んでいたが、核と思える(内容の)高い霊人の霊言はそう多くない)自分の霊的状態にも霊格向上とか肉体が霊的に高くなったり、以前は肉体次元の欲望とかの欲求が結構あったが、こういう本の多読で霊的水準が上がってくると、霊的に敏感になってきて、悪霊憑依みたいのすぐ感知できたり、地獄的な波動の本、他作品(、他地獄波動の物事、商品、人、存在の感知ができるようになって)はすぐ具合が悪くなってきて、「この本(他)は[地獄的内容で地獄世界とつながるような雰囲気になって地獄は霊的に低い世界だから自分の霊的波動が低くなったりして病気とか健康によくない、運が悪くなる危険あるとか悪作用に通じると分かり中々読んだり、その行動がとれなくなる、その商品(他)を避けるようになるとか、地獄波動を避ける考え方になる、つまり以前より霊的水準波動が上がり地獄波動、霊的に波動の低い水準のを避けようという意識が働くようになって、行動を決める判断基準になってきたりするようになっている]駄目な本(他)だ」とまともな行動に自然となるようになっていく。欲望の行動をとると波動が悪くなりそうで(頭痛、吐き気他健康悪化他)欲望欲求が薄れてくる。究極には本当に正しさを身につけてくると[霊界を相当知る行動(霊言を読む(心の中に霊界世界が認識されて天国が理解されてくると、心の中に天国が広がってくる、何となく天国的になる?)、霊的(天国)世界に通じる反省等八正道とか聖言(真理の書籍等、新約聖書スウェーデンボルグの『真の基督教』、カント哲学の良い部分、あまりオススメしないが旧約聖書も一応聖言です)(他、ヒルティやアランの『幸福論』、凄くいいのはトルストイ(イエスの分霊、9次元)の『人生論』(僕は新潮文庫の)(死への移行の考え方の所が快い))を読み込む等「ニルヴァーナ」につながる考え方行動)によって]自然な行動(無意識的行動、格好つける必要ない(僕は昔から格好つけようとした方が返って格好悪くなっていたから、判っていた。「悔しかったら格好つけな」というのは間違った洗脳で「行動が動機を強化する」という心理学の人間心理の仕組みだと悔しさに動機付けられた行動はますます悔しくなる原因。悔しくないようにするには全く別の行動をとるとか行動の手持ちの選択肢を増やしておき、その行動中毒にならないように絶えず気をつけていたらいいと思う。そうすると、別のことをしたりして悔しい原因とは別の領域を耕したりしているとまた気分が回復してきてすっきりした気分で元の行動もとれるようになっていたりと、つまり色々なことが螺旋階段状に向上していくと思っている。僕は昔からそういう考え方だった。))に間違いが無くなる、霊人(霊界次元、守護指導霊次元)の行動がそのまま肉体次元に表れてくるようになってくるのではないかと思っている。すると何となく肉体(の霊的)次元(波動)も高くなっていないか(「ニルヴァーナ」になる(近づいてくる)のかも)、とか思うが。【地球における真理の人間の発展成長過程は子ども時代(他大人になってからでも遅くとも)「性悪説」の状態を経て、第二の誕生日(twice born)を経て「性善説」へと宇宙性エネルギー機構の逆三角形ジグラット構造の進化を繰り返して「ニルヴァーナ」(宇宙系人類ホモ・スペリオール(人間型フォームの世界の目標))に達するのが人生の順序らしい。よく昔不良だったけど大人になっていいおじさんになっているとかいうのが人間型フォームの筋道らしい。人生の表も裏も読める円満な人間性というのがこの過程で得られる果だろう。それが人間としての生きる手順、筋道、成長過程らしい。だから、「性善説」だけでも「性悪説」だけでもダメということ。その両者が折り込まれていなくては円滑円満な人間性とは言えないよう。】【こういう内容ってなんか(仮)アセンドマスター(大げさ)の役に見える。我ながら。】【カント哲学には神になれる道があるとカントの霊言『霊性と教育 ルソー・カント・シュタイナーの霊言』に書いてある。多分普遍性道徳宇宙警察への訓練になっている。僕もカントの『純粋理性批判・上』(岩波文庫)と『プロレゴメナ』の大体を読んで何となく理解したら(2010年~2011年にかけて1年3カ月くらいかけて)、なんか認識力が上がって世の中の仕組みが見えるような気がしたし、実際少し霊格上がったような気がした(しかしくれぐれも『純粋理性批判・中』はフリーメーソン的内容なので読むのは気をつけてほしい。『プロレゴメナ』のその部分も。パラパラと参考程度でいいのでは?カントの霊言『霊性と教育』に「カントの研究者で分かった人は一人もいない。分かってたまるか。」と述べられている所を見て僕はカントの著書に読まなくてもいい部分(フリーメーソン的)あると何となく理解した。『純理・中』は理性についての内容なのでフリーメーソン的で余り意味がないと思っている。だから僕はパラパラと参考程度にしか読んでいない。フリーメーソンに持っていかれたら大変と思っているから。ここはくれぐれもご注意願います。カント哲学は考え方を学ぶ、考え方を使えるようになるのが大切であってカント研究者みたいに理性の内容まで教えるようになるのはカント研究者(学者)で私の思想の本質を理解した人は一人もいないと述べている理由と考えている。)。キリスト教新約聖書(フランシスコ会訳注)を1998年夏~冬にかけて半年くらいかけて注釈の隅々まで3回読んだ時も、寝入りばなのうとうと状態の時、すごく次元の高い波長の次元のような声で「~は不透明感が強く~その後も引き続き~します」と宇宙警察の上官への報告みたいな声が聞こえてきた。僕は「不透明感」という言葉知らなかったのでこれは僕のハイアーセルフの普遍性道徳宇宙警察ではないかと今では思っている。その声が聞こえた後しばらくは霊的に低い状態で何とかやってきたがカントを読んだ辺りからそのハイアーセルフに近くなってきたと思っている。「ニルヴァーナ」に達して「宇宙系人類ホモ・スペリオール」に達したのかもしれない。それで宇宙警察を使命と感じて今生きている。(普遍性道徳)宇宙警察は地上の警察の中にも当然いるが、民間人の中にも多数存在しているらしい。それへの訓練がカント哲学と新約聖書他と何となく考えているが。】【聖書等の「聖言」は本質的に「多次元性構造言語」で多重性の意味を持っているよう。一般的に五重構造で「文字釈」「意味釈」「秘釈」「深秘釈」「重々深秘釈」の意味(理解)があるよう。「文字釈」→文法的な構成からなる表層的な言語学的解釈で理解できるもので、言語の読解力で理解できる内容。学習領域の「解釈」と同じ。「意味釈」→理解力に訴える「判断解」、あるいは「インテレクチュアル解」。知性領域での「判断知」と解釈できる。通常この領域で論文が形成される。論語等を理解する場合、例えば「仁」という言葉を先人の言説や文献を研究して理解する「釈解」。「秘釈」→ここからは宗教的理解が必要となる。「秘釈」はその内容を行動に移して理解できる「悟達知」。一つの「哲学知」を構成し、例えば「仁」を行動に移して理解できる「智」で、人生智。霊域(5~6次元?)の人達が理解している知的内容。「深秘釈」→人生のトータルとして初めて理解できる「釈解」。この解は通常死を超越しており、天上界の天使が持っている叡智。仏教的には光の菩薩達の叡智溢れる「釈解」。時には一国をも動かしうる「釈解」となりうる。「重々深秘釈」→本来的には創造神のみが保有している「釈解」。天上の天使達の能力も遥かに凌駕している「智」であり、「釈解」。お釈迦様とかキリストが持っているものだろう。】【修業が進み八正道(他、聖言(聖書、霊言、老子道徳教も確か聖言、『太陽の法』『愛、無限』等もそうだろう。天上界の価値観、インスピレーションで降ろされたもの)、霊言、カント哲学、真の基督教(スウェーデンボルグ)等)で小さな自我Aが瓦解していくとより大きな自我Bの地平に立つようになる(認識力が高まる?)、そしてその新しい未来の自我Bの地平からさらに大きな自己Cの地平線を見つめることができるようになりついに第三の自己Cに到達する。さらに第四第五と進化、そしてこれを何度も繰り返す→ニルヴァーナ。認識力が拡大して例えば目が全方位(後方、上方、下方)認識できるようになるという表現で表される認識力(霊性も)の拡大(ニルヴァーナ(宇宙系人類ホモ・スペリオールに進化)(ハイアーセルフと言うのかも))。】【ジョージ・アダムスキー スウェーデンボルグ 人間型フォームの(世界)宇宙 逆ピラミッド型の宇宙性エネルギー機構のジグラット→「八正道」他の修行が進展→小さな自我がだんだん取り除けられていき、より高き自己に進化→「ニルヴァーナ」に相当するより高き宇宙系人類(ホモ・スペリオール)に進化[人間型フォームの世界の進化・意義・目標だろう]】【(2021/12/1→)怒ったりするとき、精神(武士道、仏教他)で怒る人は義憤・公憤で怒っていて人間が練られていて精神が高いと言えようが、自分の心・感情の些末で怒る人(私憤)は人間が出来ていなく小さいよう。例えるなら、勝海舟(過去世諸葛孔明ハンニバル、菩薩(?))・坂本龍馬(過去世劉備玄徳、菩薩(7次元))・孔子(9次元)等が小さい心の揺れ(私憤)で怒ったりするか?精神が練られている人は心の浮き沈みが余りなく有るとすれば義憤(精神)で怒ることくらいだろう。ここは人間の大きさ小ささ人間成長、心精神の鍛錬という人の生き方考え方について考え及ぼす点と思う。確かに人間の小さな奴の些細な感情からくる怒りみたいもの(私憤)は見苦しく嫌なものだ、と思う(一般の人にはよくある常かもしれないが)。反対に義憤・公憤で怒られたときはこちらは怒りを感じない(ことがほとんど)。大きな人間を目指そう。】【(2021/12/6→)「信用というものは築くのは大変で(何年も何十年もかかる)、失うのは一瞬だよ、お金や毀誉褒貶で他人の心は買えないよ。」と高校時代に同窓生が言っていたのを聞いていて肝に銘じている。人間信用というものを甘く見るな。恐ろしいことだ。「狼少年のたとえ話」でもそれがテーマだ。昔から聞いていることだ。】【時間を作るには優先順位をつけて捨てることが肝心。幸福の考え方。非常に役に立つ貴重な霊言『幸福論シリーズ ヒルティの語る幸福論』。重要な霊言と思う】

 

誰が考えた嘘の言説か知らないが新型コロナワクチンを打ってホモ・スペリオールになるなど間違いに決まっているだろう。アホの考え方。

 

 

年をとると感覚が鈍ってくるから鈍っていない10代~20代前半(人によって差はあるだろうから一概に言えないが)くらいに特に良い音楽を聴くことが感性を発達させるのに良いとのこと。僕も16歳くらいからずっと音楽を聴くようになったが20歳頃(21歳)ラジオの音楽番組(クロスオーバーイレブン)テープに保存して好きな曲を集めたテープを作ったりしてそれを頼りにCDを買い集めたりしていたがあの頃は感性が鋭敏でときめいたり浸ったり音の聞こえ方が若い頃特有な敏感さだった。48歳の今ではもうあの頃の聞こえ方はできない。20歳くらいに音楽を聴きまくってよかったと思っている。心の引き出しが作られるのだろう。若い頃は感性の方が知性より強いから、音楽、文学、芸術他に触れることを大切にしたらいい。感性が鈍ってきた20代後半くらいから感性から知性にシフトさせればいいと思う。僕は今でも感性派だが。

 

よし→好→yoshi(joshiとも書ける)→女の子(女子)

 

 

 

氏姓制度

氏姓(うじかばね)制度も漢字が伝来して出来たものだから、本来の日本の価値で無いのかも(だから単純に考えて出雲系の天皇(大王)って昔はいなかったのでは?富士王朝だかあったと武内宿禰の霊言にあって出雲系なんかいなかっただろう。別の国だろう。仏教、漢字伝来以降は出雲系が入ってきた偽王朝かも。)。こんなので適当に名門の名前とか消えるかも。その人の魂の実態が能力とか(他あるか?)格とかになるかも。漢字の氏姓無くなったら何残る?昔は氏も与えられなかったことある。国造(漢字だが)とかえた非人とか部曲屯倉他大王(天皇)がいただけ。は?国自体まとまってなかった。中国地方って外国みたいな名称にある出雲等外国だろう。海の底の龍神信仰等(中国みたい)塵みたいものでポセイドンとか住吉の海神の方が格他が上らしい。江戸時代は家康が豊玉姫(竜宮界、竜だろう)らしく出雲系もいいところで外国時代みたいものと思う。中国の思想やたら流行ったし。日光東照宮龍神が祀られている。つまり豊玉姫は龍(レプ)だろう。外国っぽい。乙姫様は龍だった?知らんが。住吉の海神(ポセイドン)は天津神。海神にも格の違いがある。ポセイドンの方は太陽に通じているが龍神(国つ神の方)は闇に通じているだろう。ポセイドンは太陽に通じているのならスターダストで無いだろう。そういう格の違いもある。【しかし藤原道長(過去世仁徳天皇、中曽根元首相の過去世、霊格菩薩(7次元))がいるから何ともはっきり分からないが。中曽根元首相亡くなって2ヶ月後くらいからコロナ問題発生している。高天原系の霊言で以前頼むから中曽根さんを延命させてくれと霊示が入っていたらしいから、平成時代のカルマの天罰の発生が予想されてそういう霊示が入っていたのだろう。案の定死後2ヶ月後から天罰みたいの始まっている。昭和までのまともな徳の高い人の人生の徳がそういう天罰を食い止めていたと思う。そういう徳は後の世代の人も引き継がねばならないのに徳を喰らいつぶす平成時代以降の社会悪化堕落。旧制高校生以前世代少なくなるに連れて天罰多発している。そういう日の本の徳みたいものの大切さというものが分かるだろう。ただ遊んでいるだけは間違いなく危なくなる(もうなっている)、と思う。徳(徳川でない)を考えよ[徳とは天の蔵の宝のことだろう]、ということだと思う。)。2021/10/10(トト)とかいう魚みたいな名前の穢い日だな。え?龍に合っている穢い日付だ。トス神[アトランティスの神、釈迦の過去世、ヘルメスも過去世でヘルメス文書だかはフリーメーソンの源流らしい、つまりフリーメーソン(闇の価値)を作った神が釈迦(大日如来毘盧遮那仏、神(太陽)と仏(龍とかレプと太陽の統合存在)の統合存在のエル・カン~レ(釈迦牟尼仏)のよう)。阿弥陀(如来)仏(キリスト)[キリストは金星にいるよう。太陽にもいるかも。]の方は太陽っぽい。高級霊の霊言ではエル・カン~レ(釈迦)は霊天上界にいないらしい。じゃあどこにいるのか?火星(地球内部世界(オカルトの伝説では))のシャンバラとかアガルタか?][昔のパソコン通信の情報には地球の地下28kmを超えると次元が違って火星だかアガルタになっているとか書いてあった。なら、地球の上空28kmを越えて地球を見たら金星として見えるとかあるのか?月面から地球を写した写真は別に普通に地球が写っているだけだが。よくは分からない。荒唐無稽な妄想か。もしそうなら凄い。]だかはエジプトで昔トートの神と言われていたらしい。仏教の十界互具説[地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏の十界の全てが自らのうちに他の九階を具しているという意味](全ての人間は心の中に天国も地獄もある。十界のどこを大きく伸ばしたかで測られる。)があるからこの地球における人間世界は絶対悪も絶対善もいない価値になっていると思う。せいぜい人生においてどこまで善の徳を積んだかが人生の成功(天国)と失敗(地獄落ち)を分けてどこまで達したか(人生の目的目標)を測っているのだろう。】【(2021/12/9・10→)僕の家は昔京都のお坊さんが訪れて「この家は仏様に守られている家です」と言っていったらしいし、祖母が嫁に来るとき「ぱあ~っと後光が射した観音様の仏像の夢を見た。観音様に守られている。」と言って家にある戦国時代から存在する先祖(戦国武将)から伝わる仏像(曾祖父がこの仏像と系図を戦時中持って逃げて回ったそうです)を大切に守ったりして生涯信心深く清らかに生きた人でした。高倉健幸福駅ハンカチ不良のあの髪型が下の方に(脇ぞなえ)。ごく幼少期(2~3才頃)に家の中でロウソクを(既に)連想する目を見た(それで震え上がった記憶がある。大人になったら別にそれ程恐くないが)。特別意()高(い)家。曾祖父は岐阜県の神社の神主やっていた家の息子で曾祖母は鎌倉の正宗の刀鍛冶の娘さんだったそうです。この曾祖母は僕が生まれて3日後に90何歳で亡くなっています。良家の育ちでおっとりして愛嬌があったようです。亡くなる数日前僕が生まれる頃家の寝床で「坊そこにいるしょ」と霊体の僕を霊視していたような発言をしていたようです。自宅で老衰で自然死したようです。祖母も芽室町の良家の育ち。曾祖父は昭和26~27年に70代で亡くなったよう、厳しい人だったようです。過去帳の子供の名前見ると感性はすごく高いように見えました。源頼朝みたい顔している。そして、僕はこの家の先祖(戦国武将)の生まれ変わりと思っている。しかし、祖母は体弱く子ども産めない体だったので、父と親戚のおばさんの二人の養子をとりました。だから、僕の姓は今のでは本当はなく、鈴木だか岩橋だかが本当なのかもしれない。そちらとは僕は関係ないので今の家が本当の家と思っているが。親しみもわくし。(僕が)先祖とも思っているし。色々な事情を勘案してそういう複雑な家系構造に仕組んで天上界で計画したのだろう。そうするとこの仏像は武田家が滅びる時、奥さんか子孫が運び出したものなのか。それで岐阜に帰って神主か何かをやって現代まで続いているのか、としみじみ思う。(家)系図は江戸時代初期に先祖の誰かが作ったと系図の古文書を何とか少し読み取って知った。それには歴史に残る氏姓でなく本当の姓も書いてあったように見えた。山本勘助も出ていたし、「国枝」がどうも元の姓らしい。薄い系図のコピー(写し)で古文ではっきり読み取れないが、誰も知らない歴史の事実?が書かれている。清和源氏は作った家系と思うが。戦国武将からは今の家につながっているのだろう。しかし、僕の家は祖父の代で途絶えているが。本州に本当の本家があるのかなあ。よく分からない。ただもうかなり傷んでいる仏像は今後どうしたらいいものか、ウチは男が皆未婚で子孫がいなくなるのでこの仏像どうしたらいいものか分からない。曾祖父が始めに居た札幌の祖父の代の長男の家にとか。誰か対処法教えて下さい。】

 

 

 

 

修法「エル・カンターレ ファイト」(『愛、無限』に記述あり)【(これは「信仰ワクチン」だろう。コロナウイルス問題は「信仰免疫」とか「信仰ワクチン」が鍵のよう)[遠隔治療可][心の中で呟くだけで悪霊払いとか病巣撲滅、交通事故回避(バイク事故でとっさに念じたら怪我がなかったとか奇跡が起こるとかすごいらしい)、火山弾回避他台風も逸らせるよう(原則はこの宗教の信仰者限定らしいが、いざというときはいいだろう、それでなくては救済力が全くないとか意味無いと思うので)みんなでかかれば雨雲とかも消せるのではという気もするが。信仰心かなあ。][10年前の東日本大震災ではこの宗教の信者の方の犠牲者一人くらいしかいなかったらしい(その人の家の前から津波が引いていくとか、避けていくとか起こるよう、地震抑止安全効果もあるだろう)]】はがん細胞消せるそうなので(がん細胞が本当に怖いかどうかは最近の本とかでは何ともないらしいが、がん細胞でなく他の打たない方がいいに越したことないが。不可抗力とかで接種に色々事情がある場合はあると思うので、解決策とかはそれなりに単純に考えつくが。後、風景、気候、地域性等波動高い磁場(のような人が居たりするとか、信仰心が高い人多いとか)の地域とかには浄化作用とか、免疫力高い(維持力)とかありそうだし、実際感染者、死者数とか少ない地域とかあると思うが。その人の居る霊的次元、精神次元、霊域、とかでも地域、領域とかに結界みたいの張られて(天上界の)いたりすると思うのでそういう効果もあるかもしれない。信仰心(真の天上界の)には何かとご利益はあるだろう。10年前、グループホームで介護の仕事していた時に、神棚の水毎朝取り替えてお参りする広島出身のもう亡くなったが今なら100歳過ぎているお年寄りの方、胸の辺りが痛み出した時「神社はないのか」とか言い出して、その時神社って病気直し効果確かにあるのだなあ、と思わせられた(その人「生長の家」の何か冊子ほんの少し持っていたが、神道系の信仰心の方だった)。そういった意味でも、「信仰ワクチン」「信仰免疫」という考え方でも、信仰心が免疫力自己治癒力高める作用効果あると思う。唯物解決策(治療)(信仰心不足の考え方)は却って遠廻りになるというのがこの世とあの世を貫く法則を考えてみると当たり前なのだが。この頃(2021・6/14現在)、レジで接客していると、ワクチンを打ったというお年寄りの方でつい最近まで元気だった方が急激に衰弱している例が散見されるので(コロナに罹ってもいないのに)、絶対ワクチン接種受けない方がいいとしか思えない。6/12だったかの新聞でも東京だかの自衛隊の集団接種会場の6/14以降の高齢者の予約が9割埋まっていないとあったのでお年寄りの間でも8~9割がワクチンがおかしいと思っている状態になってきているのか?写真を見ただけでその雰囲気から味とか善し悪しが推測つくとかなら、その感覚で考えると他様々な情報を考えてみても、現象をみても、ワクチン(1年やそこら治験、もしくは何らかの洗脳目的研究による)は世代を問わず危ない、怪しいとしか思えない。そんなバカな外国の偽薬、バカ塵会社に叩き返すとか薬を全て廃棄処分とかにすればいいのだ。塵会社は消えるべき。そんな危険な噂の偽薬。毒みたいな噂の。解毒治療が必要だ。アメリカでも国民の半数が接種拒否、医療関係者、軍関係者の半数が接種拒否とからしいからいかに使えるものでないか証明されているようなものだろう。自国民に信用されてないなら、外国人にも尚更信用されるはずない。このような違法性には全て厳格な処分が処される下されるべきだろう。(天から)許されるわけないだろう。

上記の本によると日ユ同祖論は違うらしい。つまり、日本人とユダヤ人は違うらしい。僕はこれを読んでやっぱり、と思った。日本人の方が遥かに善良だ。司馬遼太郎の『竜馬がゆく(三)』にも日本の国土に住んでいる普通の日本人に見える人にも日本人でない人(異邦人に相当?)がいると書いてあった。そうなると、日本の国土に住んでいない白人、黒人、黄色人種でも日本人はいるという日本人の定義があるよう。(日)常識とか普遍性の正しさとか人として当たり前の善良な人のことを指すのか、と思っているが。旧約聖書は理不尽に見え、正しいとは思えない。普遍的でないから。ほとんど読んだことないが、少しだけ読んだことある。【現代の聖書と言われる『愛、無限』には他に生まれる前に結婚相手は決めてくる(約束してくる)ことの記述あり。そのことについて更に詳しく書かれているのは『幸福のつかみ方 女性のための幸福論』で女性は結婚相手を見つけるのは25歳までが特に大事なこと書かれている。必読の書。】

 

 

まあ言いたいことは、地獄次元存在は地獄みたい人がいるとそこへ道が敷かれているように見え侵入してくるが、天国的な人の所へは道が塞がっていると思っているよう。そういう天国的な人の所へ無理矢理押し入ろうとしたりすると、どうも即罰みたいになったりしてどうしてもたどり着けないよう。だから悪から身を守るには心、生き方生活を天国的な波長にして(徹底的に天国のことを学ぶ、天国で固める、地獄的な本を片付け天国的な本で固めるとか、そうすると天国の結界みたいのできる。真理の書物(天国のオーラが漂っている)についても昔それで固めると結界みたいのできると言っていた)地獄次元からルートを引かせないようにすればいい、ということ。「波長同通の法則」とも言う。

 

 

要するにイエスの霊言でもこの世の目的は霊的自己実現以外の何ものでもないと言っていた所をみても、要するにコロナウイルスとかコロナワクチンの副作用とかは肉体次元に留まっている段階の問題で、肉体次元を超えていく閉ざされていた肉体の壁を破って霊的次元に上がる[宇宙の民になる(=肉体次元のレベルを越える(魂が閉ざされていた)肉体(の壁)次元を破ると宇宙人みたいになる(アストラル体とかコーザル体とか以上))](これはアダムスキーの金星人の宇宙人の長老の話にもある、そのやり方も書いてあった)【アダムスキーの宇宙人の長老の話では地球人の死は肉体が滅びるような状態だが、宇宙人(的?)の死の概念の定義は星間移動(僕の場合は地球から地球の霊的次元(金星次元、太陽次元?)?)のことだとあった[波動変換法とか何だかあるよう]。[単純に考えて悟性、理性の人生における過程(及び終端辺りにおける)の配分量の比率が悟性が相当多いなら金星人(以上太陽人とかも)、悟性理性が同じくらいなら地球人、理性が多いと火星人、大幅理性が多いと地獄みたいでは?と単純に思うが。もっと細かい区分とかあるかもしれないが、目安くらいになるか?][理性使うにはそれに見合ったその分量以上の悟性が伴っていなければ悟性の経験越えの思弁的純粋理性になると思う。優れた物理学者とか例えば湯川秀樹(菩薩界に還っている)とかはちゃんとした悟性的なものを持っていた。著書等でわかる。]僕は世紀末に死んだのではないかのような目に遭っていて(死んだ可能性が書かれている本も(気のせいか)いくつか見られる気がする。来世(2001年以降)ならthird born(第3の誕生日?)だ。肉体の悩みがほとんど無くなっている。霊的にも霊界人かという程格段に上がった。何らかのアセンションでハイアーセルフの状態に多分なっている。1998年秋頃新約聖書懸命に読んでいる時、何か遥か高次元のような声で「~(町)は不透明感が強く・・・その後も引き続き?・・・」という宇宙警察の上官への報告のような声が聞こえてきて、僕は「不透明感」という言葉知らなかったので、これが(普遍性道徳天国)宇宙警察[霊言とかにも(天国宇宙)警察は民間人にも多数紛れこんでいるそうなので真理の宗教とかにも入っていったりしているそう。天使的というかまともなこと考えているような人か?地上の警察にも当然いる。密かに見られているだろう。][6/25か。「Xデー」とか言葉が思いつくが(魔界への要警戒日とも。どこかそういう雰囲気を感じる)。1995年「Xデー」といえば?他「必ず~を聴かせてやる」も。]か何かでハイアーセルフなのかと思っていた。今、結構そんな雰囲気になってきていると我ながら思う。ハイアーセルフに達したかも(「ニルヴァーナ」なのかも)。その後色々宗教とか哲学、精神世界、スピリチュアル、宇宙情報、心理学、歴史、(サブカルチャー他感性的も)、他色々な勉強、修行などしているうちに何となく霊的に高まっていた。と考えている。)[1994年10月に大学から戻ってきて何かいきなり発狂したことがあって(何かいきなり心の糸がプツンと切れて墜落みたいになって恐怖エネルギーが襲ってきてそうなった、内の仏壇に手を合わせたら何か上から霊体が降ってきたか何か意識が回復し、内の仏壇か先祖かはすごいとか思っていた、だから1994年の時ももしかしたら僕は実は死んでいるのではないかと世紀末ずっと思っていた。あの、墜落みたいになった昔の僕の霊体?はどこへ?と。そして1999・5月~2000・12月に特に酷い大霊障みたいな地獄みたいな目に遭ったのだから。1996年頃から本当に動物みたいな生き方する人?増えてきて、何か最近プロ野球の打球が変な落ち方すると解説者も1997年くらいから言い始めていて世紀末現象が起き始めた。どこか僕が目立ち始めた頃と勝手に思っているが。)]、死んで肉体次元から霊的次元に上がったと思っている(それなら来世?とかあの世?と思うが。同じ人生の流れなのかと余り見かけない状態を歩んできている。とてもこの世とは思えない。あの世なら来世だ。他の人は肉体次元の人生みたいなのを生きていたのか?(その人の霊的状態にもよるだろうが。最近は黄泉とか地獄的に見えるが。他の人ももし来世に入りつつあるか来世?なら、天国的か黄泉地獄的か分かるかも。)やたら僕のことを暗示する霊言多発したし、荘子の霊言にもいつかアセンションみたいになるようなこと書かれてあったので(僕が既に死んだ状態になっているからだと思っている何となく)、死んだような苦しみ味わってこの世界に留まっている(世紀末にポールシフトか何か破滅的現象起きると霊言が出ていたようで、僕は知らなかったが、何か世紀末の負担全部精神病患者の僕が引き受けさせられてポールシフトだか、世紀末の破滅現象を回避させたの僕だと思っているので、全く悪くない僕が最後の審判みたいな目に遭っているのだから、怒るの当然だわ。)、そして周りにかなり貢献している、昔の自分では考えられないようなこと考えていたりするので、そこら辺のいい加減に人生生きてきてまだそんなレベルの意識で生きているのかという感覚だから、僕は死後の状態と考えている。人生のカルマ等とっくに払い終わっていると思っている。その状態で変な負担を負わせてくるのは最早不敬罪とか考える理由。命なりエネルギーの負担をもし僕がしているのなら、不敬なら天国(僕の心が天国と思っている)から突き落とされるの当たり前だな。4次元以上に上がっているのなら、中心なのは天国、太陽だな?地獄、この世等最早本質的に通じない、そんな現象が起きてきてますますこの世っぽくないと思った。地獄みたいな連中がいつまで図々しくしているのだ?直ちに消えろ、と言う理由。そういう流れに見えるがどうだ?え?最後の審判を発生させるとか普通の人生次元レベルでできるのか分からない。できないと思う。天国だと思っているから、地獄は立ち入らせないようにしているし、天国が強いの当然だな。4次元以上ならな。動物レベルに落ちた畜生道か何地獄かみたいの知るか。となる。地獄漫画が面白いとか普通おかしく、地獄の住人ならあり得ると思っているので、天国の僕とは別個だと思っている。天罰みたいのやたら起きるし。魚が降ってきたとか、明らかにおかしい。そんなのはおまじないとかのレベルの話かもだが。天罰みたいのは天国を害するような状態の時に起きたりしているように見える。天国の住人と地獄みたいな住人の区分け、棲み分けみたいな現象が起きているように見える。あと、人生のまともなことを全く考える気もしないという雰囲気の連中がいたり、遊んでばかりとかもどこかおかしい。昔、常識とか考える雰囲気が道徳無視とかするようになっている雰囲気等もおかしい。僕は平成時代でも以外と密かにまともに考えていたが、周りはそうでもない内容しか考えていない雰囲気が結構多かったし、だんだん増えてきた。世紀末は酷いのとまあまあ両極端、21世紀明けは少し明るかったが、だんだん狂ってきて地獄的に。僕はどんどん天国的に。人の平成30年間の生き方が表れてきている。今を見れば証明されている。同じ次元とはとても思っていない。同じではないだろう。悪い者とは。これからどうなっていくのかな?、昔(世紀末)は肉体次元の霊障とか人の恨みとか感情がきっかけでひどく起こったが、21世紀に至る頃からいつの間にか肉体次元の悩みは少しずつ無くなってきた、来世みたいになってその宗教に入った頃やたらあの世の内容のことが教えの中心だった。それを学んでいたらいつの間にかあの世こととか詳しくなっていた。その頃にニルヴァーナとか古代エクレシアとか色々な重要文献が僕に見せようと言わんばかりに小さな書店に並んでいた。だから、あれこれ500冊に1冊良書に出会うとかでなく、僕の場合いきなり1冊で出会うとかが多い。だから無駄な蔵書の冊数は無く、少なくとも良書、必要な本とかがまとまっている。必要な本、情報は勝手にアンテナに引っかかってきてすぐ分かるという感覚。】と肉体次元の病気とか余り関係なくなることを言っていることだと思う。以前介護の仕事していた時に上司の方に聞いた話では、脳はスポンジみたいにスカスカのような肉体次元が壊れているような人が全く健常者と変わらない認知レベルで生活している例があると教わった。これはつまり肉体次元を超えて精神霊的次元の高い状態(アストラル体以上)で生活していることだと思う。そうすると肉体次元の肉体の問題はそれ程病気とかも関係なくなってくるということだと思う。そのために実は八正道とかの修行があって、これは逆三角形ピラミッドの宇宙性エネルギー機構のジグラット構造になっていて、八正道の一段階一段階を登っていく、それを繰り返していくと、「ニルヴァーナ」(人間型フォームの宇宙の進化の目標)(宇宙性人類ホモ・スペリオールへ進化)(肉体の殻、壁を破って認識力の視界が広がった地平の状態、宇宙人的?)に達することを意味していると思う。そうすれば、肉体次元の病気とか余り恐くなくなる、それがイエスが霊言で言っていたこの世の人生の目的は霊的自己実現以外の何ものでもない、ことの意味だと思う。そうなれば何となく、コロナとかコロナワクチンの副作用とかそれ程関係なくなると思うが。だから、宗教の修行ってちゃんと意味目的、効用が大有りだったということだった。ほっといていたら、とんでもないことが突然起こって慌てているという状態だろう。ちゃんと意味効用、ご利益もあるのだから馬鹿にせずやればいいのではないかということだと思う。恥ずかしくて宗教なんか言ってられない、とかは既に人生に敗北しているレベル。外国人でも宗教粗末にする人は、異邦人とか危険人物の目で見られるよう。そういうニルヴァーナに至るジグラット構造の宗教とか教えみたいのは世界中の色々なまともな宗教に内包されているらしい。キリスト教、仏教、道教?、儒教?、他色々。古代エクレシア(古代教会)とかの内容らしい。

 

しかし、こういう医学がどうなのかという現象が出てくるということは、肉体次元を超えるとか肉体が要らなくなるとか病気が無くなっていくとか、何か兆候があったということなのか。もしかしたら本当に健康に気を付けていたら実は病院とか要らなくなっている?とか。何となく病院が薬を過剰に処方とか必要ない手術、必要ない検査(わざと病気と診断している可能性の病院も?)とかどこか医療が行き詰まってきていて、儲けようと無理矢理病気と診断しているという話の本もよく見かける気が。上記の『やってはいけない健康診断』が一例、他。信仰心がおかしいからこんなおかしな仕組みに至るのだと思う。まともなら、患者が退院、薬の使用が無くなっていったら、製薬会社とか医療機関が儲かる仕組みになっていないとおかしい。無理矢理病気を認定して必要ない薬を使わせる販売するという低次元の考え方に留まっているのは信仰心がおかしいからだと思う。これでは仕事になっていない。なら何?悪質囚人系?昔の方(今でもいるだろうが)が何か仕事に必死真面目誠実が漂っていたような雰囲気があったが。顔つきももっと誠実な雰囲気があったが。何か亡霊みたいなこれがエリートか何か資格取った人なのか、何者?みたいなこれがエリートのなれの果てか?みたいな人?か生きた(?)屍みたいな仕事ふりの何かがいるような気もするが。たまに?どこか遠くに(が多いように感じるが)。Dr.が毒terとか毒摂(らせ)るならおかしい、怪しい。6次元以上の天みたいでないとDr.[教授・研究者という意味も、つまり学問とか健康とかの高みに導く仕事も内包されてないと称号にあってない。昔は尊敬対象だった。普通の人より学識が深かったから。カウンセリングくらいできないとおかしい。もっと言うと普遍真理、精神面を絶えず研究していてその方面から治療、健康維持に繫がらないとおかしいとも思える。唯物治療等「ああ、昔のあの手法の治療ですか。これやると罰金とか違法扱いで僕が大変になるから頼むからまともなやり方で回復してくれ」等と精神次元に進んでいて唯物治療は太古の荒療治偽治療(通称「先験的荒療治」【現代でこんな極端なのはまず無免許医とかの違法行為みたいで免停とか免許剥奪、免職、犯罪扱いで職失効にすべきだろう(職業倫理違反とかで)】)扱いくらいが普通では?しかし、邪教の超能力偽治療等とは違う。正当な普遍真理で。やろうと思えばできるはず。仕組み制度がおかしいだけで。]とは言えない、藪だ。[都市ガスも信仰心がおかしいから何か行き詰まったようによく知らないが何となく感じられるが。僕はオール電化でもないが全くガス等使ってないが。都会で今だにガス?本当都会?とか単純に思うが。利権か何か?バカに見える。不信仰心が招いているとしか思えない。昔の都市ガスのあのタンクみたいの今でもあるの?発電エネルギーにでも転用したら?と単純に思うが。今ならガスならカセットガスコンロくらいで充分くらいにしか思えないが。]あと、スペイン風邪のなごりみたいのがどうも毎年流行するインフルエンザの正体みたいで、100年経っても全世界で毎年65万人だか亡くなっているそうだから、コロナも実はそれ程恐くないのでは?スペイン風邪の時もワクチンの副作用被害が死亡者増加にかなりなっていたみたいだが。今もワクチン禍はありそう。ワクチン打っても打たなくてもそれ程発症率変わらないとかの情報出ているし。今ならワクチン被害の方が怖い雰囲気。甚だしい医療不信になっている気がするが。どうなのかな。怪しい。『真・女神転生』の超人ドウマンとかみたいな雰囲気なら討伐されているだろう。メガテン現象的にも見える。

 

僕は自分のことを武御雷神(他、住吉神(ポセイドン)・黙示録のヨハネ・地球意識、太陽意識に通じている太陽・セントラルサン・観世音菩薩・コスモシード 他)と何となく思っている(独りよがりかもしれない)。聖徳太子とかが治めていた時代とか昭和後期(極楽時代)は日(太陽)の本の日本(にほん)という感じだが、軍国主義とか戦争賛美、戦国時代は闇の価値で闇の本で闇本(みほん)という感じか。戦闘がやむを得ないとかの時も「武士道」で日本を示すべき。フリーメーソンイルミナティ追随は日本でなく闇本、異邦(違法)人。(日)常識が無くなっている時代は日本でなく闇本(異邦人)。武内宿禰(日本管理者)に追い出されるかも。反日売国奴は追放へ。

 

 

 

鬼滅の刃」でなく「自滅の刃」が実態かも。『北斗の拳』でも相手を倒したと思っていた悪者がケンシロウに「死んでいることに気づいていないのか?お前はもう死んでいる」とか言われ滅んだ描写がよくあったが。オームシステム[鏡面内部反射世界(全て自分へ反射して返るオウム返し、因果律だろうそのタイムラグがもう短いミリ)、マジックミラーもある?普通、暴力とかはバカのやること、ペンは剣より強いとも、地獄みたいのは隔離されていくだろう]なら原理的にありそう(完全作動しているだろう)。(変な図々しい奴は最後の審判かなんかでサリメ~と星へすとーんと落ちていくのがふさわしい。そこで訳の分からないグニャグニャなのが永遠の姿だろう。福笑いみたいな顔なのでは?それが身の程だろう。当然だろう。ロボットみたいで周りに迷惑誤作動ならスクラップになってこうなるだろう。【地球意識や太陽意識の魂、意識によって崩壊時空を仮に成り立たせている時空意識の地球みたいな世界を作っているのだと思う。武御雷神が地震を止める作用の要石とかもその辺りに意味があると思う。太陽の魂意識によって時空が維持されているからそういう効果があるのではないかと思う。時空を成り立たせている魂意識は実は甚だ強いというのは言うまでもないだろう。それへの不敬罪はありそう。その辺りが地上の人間のうぬぼれ、傲慢は許されていないと霊言とかに書かれている意味だと思う。自分の(本来の)力[滅亡崩壊したスターダストの噂がありながら。自分の力で生きていけるなら他者自己破壊意識、根拠ない嘘、はったり、張りぼて上げ底八百長他怪しげな言葉がつきまとうなどないだろう。は?何ですか、あなた。「お前は実は死んでいる」と言われるだろう。本当は、とんでもない見せかけばかりだった馬鹿どもだろう。どんな偉さだ?塵くずみたいくせに。え?、と。]、(自分の本来の)エネルギーで生きているのか?と。】人間の心の世界なわけで、獣の刻印(鬼の血とかいう表現は獣の刻印が実態かも。これって1994年頃のオカルト情報にもタトゥーガンだかで獣の数字のマイクロチップを肉体に埋め込んで、総背番号制にするとか情報が出ていてそのまんまに見える。どこかの国で家畜動物とか囚人に使われていると以前情報見たことあるが。『ムー』とかにも書いてあった内容でまさかいまだに同じことを考えているとか。なら、そういうことを考えている者洗脳しようとする者が百年一日いかにバカかと分かる。物理的に無理矢理獣の刻印を押そうと。しかし、心が獣かどうかの問題だと思う。つまり物理的物質的現象の問題でなく心の問題になると思う。)とか肉食動物みたいでまともな優しい心もなく周りに迷惑かける存在に最後の審判が下るとあるので危ないだろう。本能のままだと動物みたいでだんだん危なくなるということだと思う。もう危ないのも多いかも。人に迷惑をかけてへっちゃらとかは恐らく国賊。盗賊、犯罪者の考え方。周囲とか国を良くする等単純に考えてできないだろう。昔ながらの正しいまともな人にはない考え方。知らない。地獄の価値観考え方がいけないというのはそんなのが流行ると世の中犯罪とか不正、悪が横行し、まともな人が被害迷惑を受けるから。犯罪者みたいのが中心、流行になると滅びる現象が起こるの摂理として当然。歴史を見ても。正しく考えないといけないの当たり前の理由。不道徳、不正、悪の横行は摂理として天罰の発生原因だろう。単純に考えてもそうなっているだろう。実際もだわ。)【そう考えると、ゾンビみたいなものは実在性ない存在なのだから、武士道とかの奥義の柔と剛とかの考え方とかいくらも入っている北斗の拳と比べてみてもいかに弱いかというものか分かるだろう。作者とか、顔も出さない匿名とかも騙しとか嘘とか弱い世界雑魚の世界の証。実在性ない価値観を無理矢理まことしやかに見せているのだから作者自体実在性がどこまであるか分からない。ゴーストライターの可能性も。作者変わっても分からない。顔見せない匿名はなにより怪しい証。バカ作品。下手物(ゲテモノ)。他、本等でも匿名とか経歴不明とか顔写真付いてないのはまず怪しい証。読むべきでない対象と分かる判別法。騙されておかしな世界に送られる危険性が甚だ疑われる。僕はまず読まない。すぐ捨てることほとんど、まず。地獄波動を僕の周りから消していく考え方なので。こういうのはまず地獄波動。まともな天国に通じている価値観なら匿名とか経歴不明とか顔写真無いとかこの全て無いとかはまず無いので。怪しい危険なのを見破る考え方。こういう作者の作品著作物はよくよく見てみるとやはりどこかおかしいことがほとんど。たまにまともなことを入れて7~8割の真の他に2~3(あるいは1割以下とかも)[変な悪いのを開き直ったおかしな漫画とかなら8~9割の嘘に1~2割の真とかで騙しているかも。]割の嘘を混ぜて嘘までも信じこませるように仕掛けて騙すとかいうのが、フリーメーソン情報他騙す者の手口らしいので。だから、こういう本等はどういう考え方、手法が嘘の内容、手口かという反面教師証明みたいなのにしか活用できない。こういう内容が悪い世界の内容価値観なのだな、という。僕も昔大学時代パソコン通信フリーメーソン情報オカルト情報で何が正しいのか分からなくなり、精神の限界の発狂みたいな現象出て精神科行きになったが、その時こういうことを考えたり、書いたりする人はなぜ恐くないのだろう、と考えていたが。[ネットは1994年だけでその後1995年以降インターネット時代はネットに関わり出したのは妹が大学卒業して帰ってきた妹のパソコンの2003年から。少し見る程度。携帯電話を使い始めたのは2007年1月から。自分用のパソコン持っていた時期あって2008年4月~2010年か2011年頃壊した。スマホに代えたのは2016年3月。だから僕は基本的にネットは余り使わない状態で生きてきた。ネットに時間を使うのは何か無駄、疲れる、下手すると頭痛、吐き気につながるという考え方。ネット初心者ではあるけれどもそれまで学んできたことは以外とすぐ使えるということは分かった。]その後大学中退した後精神科に通院するようになってから、基本的にどういう考え方がまず正しい内容かとか心理学とかの自己啓発本から始まって、血液型の本、姓名判断、他色々、後に世紀末には新約聖書3回通読(注釈も全て)、21世紀に入ってからは2003年頃から仏法真理の書籍読んで入会して修行みたいこと、真理の本の繰り返し読み。その内容には世の中の昔からある哲学とか宗教書とか様々な紹介されているのでそれらを少しずつ読んでいった。カントの『純粋理性批判・上』と『プロレゴメナ』の大体を読んだ辺りから(2010年~2011年頃)、世界の仕組みが俯瞰的に見えだし、他の書籍の内容も一気に分かり出した。カントの霊言『ルソー・カント・シュタイナー 霊性と教育』にも(カント)哲学には神になれる道がある、と書かれているので【しかし、新約聖書の内容とか分かってないとカントの本は理解し難いしにくい面は大いにあると思う。西洋の書物なので新約聖書等の知識が前提になっていると思う。読んでいるかどうかで理解度(力)に差が出るかも。旧約聖書は最初の30ページくらい(創世記辺りのみ)しか読んでいない。怖い気持ち悪い内容なので読むつもりない。せいぜい解説本くらいで何となくの内容把握でいいくらい。新約聖書には旧約聖書(フリーメーソンって旧訳聖書の世界系だったか?)への注意ポイント書いてあって、「((レプタリアンの)ヤーウェだかには(だろう))決して誓ってはならない(現代の真理の宗教ではよく~の誓いとかあるが。昔(旧訳)は改心贖罪原理入っていなかったから何か危険だったのだろう。【少なくとも地球における宇宙犯罪者のまともな存在への歴史(上の他)犯罪が全て暴かれ取り沙汰され、この者共の魂、記憶、経験、存在すら全て剥奪消去(無かったことになると思う)され、普遍性天国宇宙警察及び根本の神(太陽)からの強制介入的地球運営の中止、この犯罪者共の追放、消滅、消去、刑の執行がもう一斉に開始されるであろう。こんな世界で来世無いのは当然だし、歴史ごと全て消滅みたいになる。地球領域の解体になってこの宇宙犯罪者共は、二度と太陽世界には関われなくなるであろう。太陽の絶対命令で。速やかに施行せよ。この世界のおかしな者とかは全て終わる。直ちに完全に施行せよ。(「もう直ちに行え。(地球時空運営中止を)」(←この言い方))悪い者への大天罰とか相次ぎ一気に終われ。歴史犯罪が全て取り沙汰されるだろう。生きる資格はもう無くなる。実は(いつの頃からか)無かった?かも。宇宙時代等あるわけなく一気に終われ。消滅せよ。コロニー落としは知らないが太陽世界に張り付いているUFO落としはあるだろう。これを落として最後の審判みたいになって一気に終われ。太陽絶対命令で強制介入発動だろう。まともだと思えるだろう。それが真実の自分たちの姿だっただろう。もう即いきなり消えろ。終わる。オームシステムでも大体判るだろう(オームシステムのタイムラグが無くなったら普通おかしな者は消えそうだ。その人の人生の年齢とかの過程を考慮して)。消える者は。はっきり言って極端に言えば太陽とかまともな存在への不敬(はっきり言えば肉食動物的存在の)は一回も許されていなかったのが実際かも。まともな存在へ危害を加える等思っただけ企図しただけで消滅が普通かも。特に天国なら普通そうだろう。実はまともな世界はそうなのかも。こんな地獄みたいな肉体世界はおかしいだろう。この肉体を司る魔物みたいな存在は全て消えろ。この肉体の仕組みみたいのは消滅するだろう。使える価値でなかったとかになるだろう。レプだかは消去消滅になる。フリーメーソンみたいのは完全に終わる消滅になるだろう。当然だわ。(2021・6/29施行執行→一気に終わるだろう)(2010年8月頃にも密かに(?)こういう発令は行っている、確かに少しずつ終わってきている。変わってきている。ように見える)】、「(平素は正しいこと考えて色々判断していけばいいだろうが、例えば命の危険が迫った時等で)どちらにするか判断(選択)に困った時等は、今までと同じ(考え方での)判断を行え。いざというときは変えない方がいい」等が僕が今でも使っている考え方だ。新約聖書読んで分かっていたこと。結構大切重要と思う。他にも学びはあるだろう。天国、天使の考え方とか。現代の真理の宗教でも余り述べられていないポイントある。カントは超常現象的なことは同時代のスウェーデンボルグの書籍等から情報を取っていたよう。カントの『純粋理性批判』って密かにそういう超常現象(超経験的、先験的という表現でも)とか宗教とかの内容を痛い目(先験的。アガペーとか?)に遭わせない考え方[経験的という表現で表し、特殊な理詰めの言葉の使い方(常識的な字面通りの言葉の理解の仕方では理解できない仕組みに。「経験的」を普通の経験とかの理解の仕方ではダメで、理屈をよく追っていくと理屈に合わせた言葉の意味になっていたりするのがわかりにくい所。迷彩的考え方で書かれている。)【単純に言えば、「先験的」(超能力とか超経験的(=経験を越える)、可能的経験越え、悟性(道徳的)内の経験を越えること=思弁的純粋理性使用(ずるい理性の使い方、悟性無視とかの)、できないこと(怖いようなこと)をやれと言ったりすること(不可能経験、変な困難とか危険な命令されたり[つまり先験的(不可能経験[超能力とかもしかしたらできるのかもしれないがそれは不可能領域の経験という意味、後、できないことを無理強いされたり等])命令は拒否れば可能経験になる]))は危ない領域、「経験的」(悟性(道徳)内の経験、可能的経験(できること(危険領域に入って無理矢理するとかでなく普通のまともな)をやること、可能経験))は安全領域。悟性>理性は(可能的経験、経験的)だが、悟性<理性は思弁的純粋理性使用で超経験的で危ない。そういう時は理性(闇)を控え悟性みたいな本を多く読んでいたり、まともに(悟性道徳的に)考えたり、行動したりしていると悟性が伸びていき悟性>理性に反転したりすると思う。悟性に集中すれば。僕も何かそんな感じだった気がする。大学中退後、ゲームとか理性使用全然できないような雰囲気になってそれなりに生活していたら(実は理性を全く使用しないような生活だけで比較的まともに生活しているだけで悟性は伸びるような気がする(現代はコンピュータ使用等多いから中々難しいか))、他聖書とか普遍真理の本、普通のまともな本とか読んだりしていてそれ程理屈っぽく全く考えていなくても悟性は密かにいつの間にか伸びていたように思っている。一時(2002年~2007年頃)パチンコとか少し中毒的になっていたこともあるが、それ以前とそれ以後でも悟性は伸びる生活になっていた。理性は程々で[最近は理性使用(ゲーム他数学、物理学等も。化学は計算ばかりだからか実は余りひどく理性っぽくない)は悟性を越えるような作用が入ってきたりすると(嫌がらせとか闇的とか他)やたら疲れすぐ打ち切る。悟性(天の蔵に宝)、理性(地の蔵に宝)と思うので、悟性伸ばすのは運が良くなるとか(悪運でなく)、何かと天から助力みたいの入ったりとかになる。守護指導霊の働き助力が得られやすくなる。逆に理性(地の宝、闇)多いと守護霊などから割と冷めた目で放っておかれるどうぞ(懲りるまで)好きなようにやっていればいい等と(『愛、無限』に記述あり。)。]、悟性的な宗教書とか道徳哲学書自己啓発本、心理学、(まともな)文学とか人文科学系?は悟性的なのだろう。】になっている。[これだけ分かっただけでも効果あろうが、「先験的」(上巻の所はいいが(悟性のことなので))とか「理性」とか「アンチノミー」とか「弁証論」っぽい所を避けて「悟性」の所を読んでいけば少々難しいかもしれないが、明晰的に考えることとか哲学的な考え方自体を学べたり、自分なりに哲学的な考え方を考えること考える力とかも鍛えられたりと副次的効果は相当あるので自分なりの気付きを拾いながら(メモを書き残しながら)読んでいくと相当すごい内容をいつの間にか考えているかもしれない。僕もメモに相当すごい気付きが書き込まれているので頑張ってみる価値は大有りと思う。『プロレゴメナ』は比較的分かりやすいので、これと『純理・上』を引きくらべながら読んでいくと判りやすさ、気付きが増えたり、理解力が増すと思う。僕は両方と他の著書も少しずつ参照しながら変な所(純理・中巻等)も参考程度に少し触れたり(深入りはしないように気を付けながら)していけば理解を助けると思う。][おそらく悟性(?)から理性にエネルギーが流れるという人間型フォームの仕組みになっていると思うので、悟性>理性だとまともとかどこか健康な構図が見えるが、悟性<理性だとエネルギーが流出とか体から減っていくという構図が見えるので、危ない状態(健康とかも)領域にいるという構図が見えるので、悟性を伸ばし安全確保せよ、となると思う。何となくそう思えるのだが。][子ども時代は親とか学校、教師、まともな大人とかの悟性によって守られて(保護されて)「悟性>理性」の構図が守られていることが普通だが(ゲームのやり過ぎとかおかしな漫画の見すぎ他が問題と思うが、ここが何となくこの構図を崩す作用に密かになっている(洗脳的?)から危ないとか考え気を付ける、心掛けるポイントと思う)、子どもから大人への過程で発生する問題ポイントだと僕は考えている(気づいた?)。悟性<理性の構図は危なくなる(大人の保護とか外れていくと)ので、悟性>理性の構図を考えて生きることが普通は昔からまともな状態(→**2)

 

 

→**2((日)常識的安全圏)、生き方だったと思うが。まともな人は普通こうなっている。まあ哲学等読まなくても普通のまともな生活がこういう悟性>理性の構図になっていると思う。コンピュータ(理性的)使用とかがかなりその構図を崩す作用になっているので、人文科学系(しかし地獄に堕ちた人の小説とか思想は病んでいて地獄へ向かわせる作用(悟性<理性に向かわせる作用)あるのでその作家等が死後どうなったかを知って読む本等を選別すること(天国的著者作者の内容を主に読む見る人生の参考手本にする、地獄的は参考程度(こういう内容が悪いのかと)に留める)も生き方を間違わせない重要なポイントと思う。『黄金の法』とかや普遍真理の宗教の霊言集でその作者の死後霊界を調べるとか、自分で天国地獄の価値観を学び(普遍真理の宗教(仏法真理等)の本等で)自分で見極める)とか哲学、普遍真理(の宗教)とかの悟性を働かせる(補う)必要が出てくると思っている。単純な理屈を考えると。子ども時代から大人への過程で発生する僕が考える問題ポイントです。]理屈をよく追っていけば、意外と理解できる。『判断力批判』はちょっと難しくて手つかずだが。『純粋理性批判』の上中下の上巻だけで相当世の中の仕組みがわかる(僕は『純粋理性批判・上』は完読、『プロレゴメナ』の大体、『永遠平和のために』の一部、『道徳形而上学原論』の一部、『啓蒙とは何か』(これは新約聖書の内容についての考察が多い)の半分くらい他など読むのに1年2~3ヶ月かかった。一日2~3ページなどザラ。1ページとかも。もう少し多い時も。ページの余白とか巻頭巻末の余白に気付いたことを小さな字でメモしていくと、見返した時、意味がすぐ分かる。再度読む必要なくなる。気付き悟り等足りない場合、何度も読む必要等あるのかも。『青春に贈る』という本に本の理解力は累積効果(色々な本を読んだり勉強等で知識気付き悟りが高まるにつれて本の理解力、読む速度も上がっていくこと)によって高まっていくこととかカントの本のこと等書かれている。)。中巻は理性の内容でフリーメーソン的なので読まない。下巻はそれ程でもない、短い。]の内容になっている。『霊性と教育』にもカントの著書には読まなくてもいい箇所あるような表現(と僕は理解している「カント学者には理解している人は一人もいないでしょう。分かってたまるか。」という所)あるので多分フリーメーソン的な所と思う『純理・中』とか。】、神みたいな俯瞰した視点が持てる、他霊格が高まる等の効果があるのかも(しかし、年がら年中ずっとこのカントの本ばかり変な中毒性あって読んでいると頭の明晰性は上がってくるが心がどこかすさむような状態になっているように気付いたらなっていたりするので、たまに息抜き(コウスティング)入れるとか、別の楽しいような本読むとかした方がよいと思う。まあ気長に読むなどの構えで。僕はこればかり1年2~3ヶ月読み続けて精神がいつの間にかどこかおかしくなっていて、何か精神病の一種の妄想かもしれないが、気のせいかもしれないが、電池の切れた腕時計と新しい腕時計の電池の残量が入れ替わる、つまり、動いていたのが止まり、止まっていたのが再び動き出したとかの現象が起きたとか思って怖くなって警察に相談に行ったとかにその最後の時期(2011年7~8月頃)になっていたので(何か見間違いかもしれないがどうもそう見えた、その時は遥か遠方(外国?)の何者かが電力の移動を行ったとか考えて怖くなった)、とんでもない異常現象が起きた等精神が異常状態に少しなっていたので、そもそもその時真理の宗教から退会していた時(2008年8月~2012年2月下旬)(精神科への通院も2008年2月から2011年9月まで中断していた状態だった)で余りいい状態でなかった時(株価が異常暴落時代)なので、正常な生活、精神活動をきちんとやった状態で精神の安定を図りながら読むのがいいと思う。ごり押しで無理矢理読み続けると精神に異常を来しかねない、という注意を入れておきます)。僕はカント読んで霊格高まった気がした。如来界の「一即多、多即一」の意味が分かる気がしたし。その霊格になってなければその霊格の悟りは得られない考え付かないそうなので、梵天界←→如来界辺りの悟りなのか?よく分からないが。何となく生まれつき梵天界とか思っているが。~観音とか。それから上がった?分からないが。あと、ここ8年くらいでまともな霊人の霊言他真理の多発し出した書籍(これはかなり読んだ、500~600冊?以上?他真理の書籍の原典(重要な物)の繰り返し、7回以上とか結構増えてきた)、とにかくそういうまともな天上界とかの真理の知識、どういう考え方が正しいのかが分かってきたら、1994年頃大学時代パソコン通信で混乱したフリーメーソン情報とかは根本的に愛とかの世界の内容でなく、地獄世界の内容だった、どうりで精神おかしくなるわけだ、と昔の至らなさが見えるようになってきて精神科の病気の症状も昔のような症状は全く無くなったし、随分成長したなあ、と、我ながら。他、色々宗教、哲学、心理学、宗教書、スピリチュアルの本、歴史小説、他色々な小説、文学、自己啓発本、参考書とか読んでいくうちに悟り、気づき、理解が深まり精神病の内容とか霊的視点とかで分かるようになってきて、全く平気になってきた。心が強くなってきた(心は強くすることができるよう。不動心とか常勝思考とか他加藤諦三の心理学(これはかなり強い、1995年読み始めで2004年真理の宗教入会時既に一万冊読んでいる人(何者?)より自信ある雰囲気だった。森田療法他)等強そう)。そうすると、どんな内容がおかしく、どんな内容雰囲気がまともとか、昔見たアニメと引きくらべてみても判る。このアニメの内容は密かに阿修羅地獄の価値観が使われているからおかしい内容で見るに値しないとか。この漫画の絵柄の描写は地獄のインスピレーション、感覚で描かれているから見れない雰囲気。とかこの本の内容は雑誌『ムー』とかの25年前(以降ずっと大体同じ内容で)と同じ内容を使い回しているとか。騙しとか真の内容とかの区別がつくようになってきた。多少悪書を読むのはいいが、何となくおかしい、精神によくなさそう、と判り、正しさを徹底的に学ぶ身につけると真偽はすぐ判るようになる。大体単純な騙しがほとんど。余り酷いフリーメーソン情報とかの本は精神に異常をきたす地獄情報だったりするので、全く手に取らない。昔見たパソコン通信フリーメーソン的悪書少し他『ムー』の内容雰囲気と類似している、愛でない怖い魔界みたいな内容でおかしいとすぐ判る。そうすると、嘘に基づいて生きるより正直に生きた方がはるかに後々生きやすく、気が軽くなる、却って賢さに通じる、安全性確保も、ということがつくづく判った、という実態だったと思っている昨今。ネット情報は書いている人は大体こういう原典著作か嘘(情報)に基づいて書いていると判るのでくだらないからほとんど関わらない。となる。最近はコロナ問題とかで新聞よりまともな内容が書かれている例も見られるようになってきたが。新聞が以外と洗脳的だったりするように見えだしてこういう情報とかならネットで情報収集、発信はいいかも、と。】【】

 

 

(2021・8/9~10記→)【昔は人に迷惑をかけたら親に子供がお灸をすえられとか(社会的に責任とか本人にも罰みたいのが発生するから本人の為だろう)、厳しく叱られるとかで人に迷惑をかけることが怖いという何か怖さみたいなものが(地震・雷・火事・オヤジ他学校の先生、近所のまともな怖いおじさん、まともな人自体他)あって、まず家庭内で直されて、社会に出ても正されて(直される価値観無かった環境だったのならば自分で自分のなやみ、葛藤を色々勉強、社会の実地経験で直していくのがまともな人間の課題、人生の問題集だろう。それもせず本能のままが正しくニュータイプ?(これなら単なる動物)とか勘違いで昔からの教訓、説話、卒業文集とかの先生の言葉、学校で習った生活習慣他の教育、宗教とか道徳倫理心理学他のまともな本、正しい年配者の見本経験を見て聞いて学ぶ姿勢、善悪を峻別する単純な少し考える努力、心、気遣いを振り返り反省しより良く人のためにもなろうという姿勢、他こんな単純なことやってなくて自己確立もいい加減でどうやって社会人、年配者、経験豊富な目上の人、そもそも親として教育者として子供の見本手本を示せるのか、ちゃんと子育てで親孝行社会の為になる子供とかに育てられたのか、本能とか嘘つくこと等恥の感じ方のおかしさ(心より形よければ良い等アホしかできぬ)を親がちゃんと自己確立努力していればそれを見本にした子供は黙ってても親の背を見て育つが、誰の背を見てこうなったのかという訝しい存在の怪しい若手の徘徊(怪)多発、挙動不審なまことしやかな何様の偉いような錯覚者、他まあ如何わしいサブカルチャーの悪影響は甚だ感じるが、ろくな作品とかの影響は感じず、親社会法律警察も恐くない等怖いものがないような勘違いのまかり通り、等瓦解現象が如何にも起きる条件が揃って起こるべくして罰現象が起きているようにしか思えない。戦争を実際大人として体感した世代はそんな抜かりはほとんど少ないが(よくあの酷い時代を経験したらおかしなことなど罰当たりに思えるというような行動考え方が相当高いようにしか見えなかったが、実際言っていたのはよく聞いた、それを別世代はどう感じていたのか、受け取っていたのか、不運な世代等といい加減に考えて学ぶこともしてなかったらとんでもない罰当たり、誰のおかげで戦後の復興成長安定があったのかととんでもなく怒鳴りつけたくなる。心も解らぬ偽物愚か者屑、塵の大量発生者、子育てちゃんとできたか?背を見て子が育つことどこまでできた?少しかどれくらいか解らぬがまともな人はいただろうが、何か社会悪化したが何やっていたのかと素朴に疑問に思うが、親世代も。火星人みたいのが悟性無視したら終わるという例だろう、平成時代、その後も。大概にしとけよ。どんな偉さだ。自惚れもいいところ。だな。)、僕も祖父世代の部隊誌とか祖父の15歳頃の仕事の学び舎での同窓日誌みたいのみたら僕の高校の寮生日誌とかのレベルとか余裕で書かれていて、昔はエリートレベルでなくても相当高い精神生活があったようと旧制高校世代とか甚だ尊敬、見本にしようと1991~1993年頃既に思っていて気付いて、その時代の周りのまことしやかな若者、実は中身考えてないのではないか(少しは居たろうが)、ニュータイプみたいな能力の顕示でやたらうぬぼれが多発し、テレビ番組でも司会者から余りのうぬぼれ集団の集まりへ何かうるさい(「静かにしろ」だったか?)とか一喝をそれより上の世代の司会者から入れられていたのを見ていたが(それでもうぬぼれの騒音態度はやまず)、さすがに僕も言い得ていると思ったくらいで、何にも考えてないくせに分かっているのかと既に思っていたくらいで、張りぼてだなとは既に見抜いていた。F1で来日したレーサーも随分変わったねと言っていたの聞いていたが、聖霊的雰囲気が外国的に見えたのだろう(しかし中身は一部を除いて実は怪しい)。外国人が1990年代前半の日本人はスーパーマンだったが、その後落下したようなこと言っていたのを聞いたことあるがその通りだろう。見た目には。僕の目では基本的に一部のまともなことも考えている中身のある人がそういう評価なら分かるとなる。そういう人はその後も多分伸びていっている。)(→①)

 

(→①)一人前の社会人[常識(理屈がおかしいと人と人の潤滑油になっていなく潤滑油みたいのが合理性に基づいた(日)常識だろう)を大切にする、人への気遣い力(斟酌力)、まともな人に理不尽なことをするのが反動とかの罰みたいのが怖くてできない、トワイスボーン(twice born)等青年期の道徳的自己確立(普通の人はこんなこと知らなくても何となく正されなっていくことよくあるだろう。普通の真面目な生活していたら自然とそうなるような社会だったように思えるが。思想が社会の中に密かに色々入り込んできてまともな人をおかしくする作用が沢山あった、それでおかしくなっていった例は散見されたが。単純な信仰心みたいな人そんな聖書みたいの読んでなくてもすごく正しく偉くすごいと思った例等身近で見ていたがなあ。実際経験としてあるが。そんな旧約聖書みたいのは野蛮人みたいな雰囲気というのがまともな人の感じ方だろう。まともな人みたら多分卒倒するのでは?]等まともになっていくのが通常の人に普通の感覚としてあったと思うが、昭和時代から平成、令和に至る社会の悪化ぶりの落差をみても平成時代みたいな人に迷惑をかけても知らん顔、人のせい、開き直りの威張りよう、傲慢な神経症的自尊心の勘違いの継続ぶり、平成時代の理不尽の無理矢理な合理化して社会悪化作用の一翼を担っていたことを無意識に追いやって悪化作用に良心の呵責を感じない等の心の奥底の悪さの自覚からの目を背けごまかしの生活を無理矢理平成時代の[対人迷惑開き直り、人のせい等、形だけよければ心無視しても構わない、かわいい(僕からみたらかわいいは人を見下している感情に見える、ペットみたいで「飼い犬に手を噛まれるとは」という言葉に表れている)は正義?は?かわいいと評価している人は本当偉いか訝しい]習慣等という悪作用(本能は黄泉時代なら短命とかに結びつくから悟性的に気をつけるとなるがどこからともなく出る極楽時代のエネルギーを生き方正しさにあてがうのではなく、本能の充足にあてがう等の精神の卑しさ、恥知らず)の合理化等はっきり言って悟性を超出した生き方の火星人(星とか心を破壊する作用傾向の人(悟性超出者))みたいのに昭和から平成、令和に至る社会悪化作用分の代償が問われ出して[平成時代の理不尽の合目的正当化、隠蔽化、昭和からの社会悪化の落差をみても平成時代の当たり前はまず当たり前でないだろう。まともなたちのいい人の当たり前は当たり前と言えようが、理不尽は当たり前でないだろう。学校でも一般的にも教わってないだろう。どこが当たり前だ?本能のままだと犯罪になるような仕組みになっているだろう。それはおかしいにつながるだろう。習っているだろう。嘘を教えている訳でないだろう。嘘を教えているのは何か道徳的におかしい者だろう。単純にわかるだろう。昭和時代から平成時代以降の社会悪化の落差が問われている代償の加減だと思うが。この悪さを正当化は間違いなく怪しい、な普通?どう釈明するのかな?反省とか真理説かれてますが。(2012年頃発刊の霊言等が再び多く発刊され始めた当初の老子の霊言にも家で神様仏様とお参りお祈りしていた方がはるかに良くなると書かれていてなる程と思いずっと実践していたら確かに良くなった僕の経験がある。)]隠してごまかしていた対人迷惑の正当化、ごまかし、悪の開き直りの無理矢理の自己正当化の代償が問われ出して理不尽なこと怖くてできなくなるという状態に社会悪化の反動作用が発生して揺りかえしがきて、己のごまかしの反省干渉作用、罰モードみたいな状態に移行するだろう(もう起き始めている?実はかなり前から?)、昔の人はわきまえていたこと、していないのは怠けていたことでそれが問われることが発生するだろう。ごまかして悪を合理化して恥じていないのはおかしいとされる事態が発生するだろう。地球意識からの揺りもどし作用がおこるだろう。そういう人は身の程をわきまえておけや、というのが神とか太陽、地球意識の本音で反省干渉揺りもどし作用が一斉に発生して心の底の悪さを反省もしないでへっちゃらとかできなくなる流れになるだろう。90代以上の人とかみてみろ?下の方がぼろぼろになっているケースが多くみられる。手抜きが後々出てくる証明になっているだろう。全てではないが。人によりけり。そういう人生トータルの身の程をわきまえておけや(竹内文書の『武内宿禰の霊言』の言い方(関西弁(で太陽とか)なら何?何かの神?~吉(よし)とかの宇宙天国警察的かも、と。何となく感じるが。日本とユダヤは違うと言っている。日ユ同祖論とかあったがユダヤはどこかの地方の豪族神くらいで日の神と全然違うよう。悟性(太陽の価値、道徳、(日)常識)の及んでいる地域、人は日本人と言えようが、どうも旧約聖書が悟性とか道徳を外している理不尽内容で読んでまともと思ったら多分狂っていて(西洋でも旧約聖書だけは異邦人の危ない何するか分からない動物的存在とされている、しかし新約聖書読んでいるカトリックでもプロテスタントでも旧約聖書も読んでいるからそれでもどうも危ない可能性もある。いい人も当然いるが。キリスト教の価値の歴史が後々植民地時代に使われていったのは多分旧約聖書の考え方が強くなっていったからだろう。だから、日本で旧約聖書みたいのは多分怪しい。普通の純粋な昔からの日本人は旧約聖書等読んでいないはず。まともな人あんな雰囲気でなかったお年寄りとか沢山いたの見てきたが、それを見てもユダヤと日本人は違うという証明によくよく考えたらなっている。僕は昔旧約聖書読んでみる前(30ページでストップしたが)、聖書というからにはドラえもんみたいな魅力的な内容かと思っていたが少し読んでみたら見たことない稀代の悪書と分かり、よくよく考えてみると実は『ドラえもん』は今でもTV放送やっているし、単行本もずっと発刊されている。つまり小さい頃誰でも触れるようになっている。実は密かに聖書みたいに触れることになっている。それも世界中に広まって読まれているようで、外国の人の意見も多数見たことあったが「私はドラえもんで育った」という意見が多数あったこと確認している。だから真の日本の聖書?みたいのは実は『ドラえもん』(かな?僕はこれを越える感動はどんな小説、映画他でも感じたことない。だからそう思える。)とか藤子不二雄(F?)さんの作品かも等と考えさる(藤子先生(の少年以降)時代にも『のらくろ』(ドラえもん的雰囲気に似ていると少し見て感じたことある。こういう流れが『ドラえもん』を生み出した素地だったのかと少し考えたが。僕がこの頃生きていたら間違いなく影響受けそうな雰囲気の内容に見えたが。)みたいな流れがあったのでは?)。旧約聖書等読まずに『ドラえもん』みたいな心、考え方ずっと守っている方が正しいしかも魅力的な人生になる気がするが。僕は人生の折々にアイデア、考え方他を使っていたが。それに肉付けして様々な本読んでいけばそれ程間違わないだろう。「『ドラえもん』は子供だましで、旧約聖書が本物だ。」等本当?と単純に思えるが。何か幸せになった?かと。ほとんどおかしくなりそうだが。日本人→異邦人→狂人(昭和から平成以降の社会悪化の流れ)の流れの原因では?)))、というのがこの世界の本質的実態だったことがわかるだろう。自己認識の勘違いにきをつけろよ。になるだろう。)】【】【イギリス中心文明の終焉が来るであろう。そりゃ、全て悪い訳ではないだろうが。中によい人もいるし。しかし、「to the end of the world」か。『黄金の法』にも世界の中心は2020年代からまず日本→それから東南アジアへと移っていくこと書かれている。】

 

僕は過去の経験的に左翼が強くなった時(不景気の時だろう[日本で2009年左翼政権が誕生したとき株価が大暴落したりと貧困が地を覆った。左翼は信仰心がないから貧困が世の中を覆う。マルクス主義(マルクスは地獄で不信仰)の左翼はだからダメなのだ。左翼には虫酸が走る。])(アメリカなら共和党の時は比較的調子いいが民主党(左翼的、極左らしい(甚だ怪しい))の時)は調子悪くなって充電期間(この時によく宗教とかの勉強ばかりして遊びが少なくなった、何かしにくい)とか保守的な生活になる。2000年代は例外だが、1990年代前半とか2010年代前半は左翼的が入っていて酷く調子悪くなる。遊びどころでなくなったりしていた。2015,2016年とか1996年とか2005、2006年とか10年代の後半になると調子が回復し充電していたものを放電できるようになることが多い。そして、1989年とか1999年とか2009年とか2019年とか(末尾が)9のつく年から調子が崩れ始め2014年とか1994年とか4のつく年まで不調が続く。日本は右翼でも(左翼の時は更に酷いが)アメリカが民主党とか左翼的ならやはりどこか調子悪い。そういう時は守りの生活になる。左翼的の時って密かに弱肉強食っぽく感じるから、何か行動が何かとしにくくなる。そこをいつも気を付けている点だ。自分作り出来なければ人助けはできない。小乗から大乗へ、仏教ならそうで、何事もそうだと思うので、僕は引き籠もる(ような現象が世の中で起きている)ような時に自分作り(竹の節を作る『忍耐の法』とか『未来の法』他だったか?他色々)の守り、充電(学習等)、慎ましいような考え方生活になる。弱肉強食はできないような考え方かも。本当左翼(マルクス主義とかだからマルクスは地獄に堕ちているから地獄的なのだ)の時は甚だ嫌な時代だ。これは実は平成時代をおかしくした原因の生き方かもと思っている。この時代のカルマが後に出たりする。だから考え方、行動をこの時は気をつけるとなる。第二次大戦で原爆を落としたのは民主党(怪)(フランクリン・ルーズベルト(過去世フビライ)、ハリー・トルーマン)。民主党は怪しい。習近平は過去世チンギス・ハンなので米民主党中国共産党はつながっている。そういう目で見るとコロナワクチン、ウクライナ問題も裏でつながっていることが透けて見える。怪しい。トランプ(過去世ジョージ・ワシントン)の共和党と全然違うことが分かるだろう。プーチン大統領は過去世聖武天皇足利義政徳川吉宗オクタヴィアヌス帝。ただし、内村鑑三(過去世・旧約の預言者エレミア)の霊言(『内村鑑三『「信仰・学問・迫害」を語る』』)に左翼にもいいところがある(どういう所かはっきりしないが)と述べられていたので左翼だからと絶対悪ではないよう。善悪は心の問題か。

 

 

 マイナンバーカードや健康保険証へのひも付け断固反対。個人情報の漏洩厳罰。『ザ・リバティ』とかその真理の宗教でもさんざん反対されている。太陽の絶対命令で全て廃止だ。

 

 

『貧困からの自由』

 また、信仰を通して、みなさんは、貧困、貧しさからも自由となるでしょう。

 貧しさのなかには、自分をいじめる意味での劣等感の延長として現れているものが数多くあります。自分の内にある、仏の力、仏の繁栄を知ることなく、愚かな自我力だけで生きていくと、試行錯誤を繰り返した結果、貧困が地を覆います。みなさんを、そして、みなさんがつくっている社会を、貧困が覆うのです。

 仏の心のなかには永遠の繁栄があります。信仰を通して、この繁栄をつかみとったならば、この地に必ず栄光が現れてきます。みなさんが仏の子として生きていくとき、そこに、自他ともに許し合う、豊かなる世界が必ず現れてくるのです。

 ゆえに、貧困にあえぐ人々よ、あなたがたもまた、信仰なき人々ではないのか。私は、それを問う。

 真実、仏を信じ、自らが仏の子であることを信ずることができるならば、仏の持つ素晴らしい性質を、自らも現すことができるはずです。仏の栄光は、みなさんを必ずや貧困より解放するはずです。

 貧困から逃れられないのは、信ずる心が足りないからです。信ずる心は、すべてを切り拓いていきます。みなさんの前にある困難を、すべて切り拓いていきます。

 その際に大切なことは、よく祈ることです。仏に対して、そして、仏の子である自分自身の心の奥底に対して、よく祈ることです。

 

 御心が、

 天に現れるがごとく、

 天になりませるがごとく、

 この地にも現れますように。

 

 このようによくよく念うことです。

  (『愛、無限』、p94~96)

 

 

 

『マーフィー 眠りながら巨富を得る』『マーフィー 眠りながら成功する[上・下]』(知的生き方文庫)→『太陽の法』の仏法真理の宗教でも推奨されている富についての考え方の本。オススメ。(僕は10年前(2013年11月)に購入したが、ちょっとした不調を感じ、『巨富』の70pくらいで読むのをストップさせていた本。昨年(2022年)末くらいから再び読み始めている所。絶対読むべき本と思う。)

 

 

数霊(かずたま)の数え方→1998年なら19と98を分けてそれを足すと19+98=117が秘密の数霊の数え方らしい。だから1998年9月1日なら19+98+9+1=117+10=127が秘密の数霊のよう(2023年4月27日なら20+23+4+27=74)。自動車のナンバープレートも数霊に関係していて、50-05なら50+5=55と数えるよう。アーテンノー(ミドリマナミ)のUFOサイト(「羅天メモリーロード」→火星人中心サイト。僕は自分を金星人、太陽人と思っているので深入りはしない。地球における遊びの手段としての少しの知識と考えている。僕は金星系)で以前学んだことある。サイトの内容のサラスバとか使ったことないが。UFOは闇くさいと思っているから。火星系で霊的覚醒を遂げていないような人ならこんな所で修行もありなのかなあ。僕は適性がないから今まで通りサイトをごくまれに見るだけくらいかもなあ。

 

 

 『アー・ユー・ハッピー?、2023・5月号』(p54)に、地獄では「憲法9条」と刻印されたシマウマが恐怖を味わい続けているものがいると書かれている。地獄に堕ちた人の成れの果てとして。左翼右翼の問題を気軽に考えるな。左翼はマルクス主義で地獄なので危ないということだ。かといって新聞の右翼紙はディ―プ・ステート的で危ない所があるから月刊誌の『ザ・リバティ』『アー・ユー・ハッピー?』などの右翼雑誌などをしっかり読んで八正道(八正道については『太陽の法』『釈迦の本心』『真説・八正道 自己変革のすすめ』他多数に詳述されている)でしっかり反省・猛省して改心してほしい。気楽に遊んでいるだけでは間違いなく危ないということだ。肝に銘じてほしい。地獄に堕ちないための心得として『ザ・リバティ』『アー・ユー・ハッピー?』を毎月読み続けることは特にオススメ。正しいオピニオン誌で読んでいるだけで、簡単に小論文対策になるそうだし、ものすごい社会他の知識智慧が得られる。オススメです。

 

 

 霊的人生観を打ち立て、死後や未来の見取り図を確立する意味でも『太陽の法』『黄金の法』『永遠の法』の基本三部作は生きているうちに最低限読んでおく必要がある。これだけでも、死後地獄で困る心配はぐっと減り天国へ行く(還る)最短チケットになっていると思う。人は皆、天国から生まれてきたのだから。最新刊『地獄の法』も読むべし(必読)。

 

 

 

 

『人類に未来はあるのか 黙示録のヨハネ&モーセの予言』→黙示録のヨハネの予言にあった2020年に本当に何か始まっている。ここ10年実はずっとこの流れだったのかも。(本当に)悪い者には最後の審判他様々な天罰が下るようになってそれを恐れる状態が普通かも。悪いことを行うと下る、と。消えるかも。波動の違いで区分けになっているだろう。4次元以上ならな。波動分解とかも。天と地の差が明らかになってくるだろう。天の人と地獄の人が関われなくなっていくだろう。あの世とか4次元以上なら普通そうだろう。地獄の存在は地獄の存在としか関われなくなるのがあの世4次元以上の仕組みだろう。地獄隔離に。

 

阿蘇山噴火リーディング』→地球の(地軸)意識の霊言。外面、体面、外のこと、自己中心のことばかりとか神経症的自尊心とかそれが考え方の中心なら中身をほとんど考えてないに等しいかも。何もしてないか却って他者に害とかならどうなのかな?(2021・8・30→)普通の単なる(雑)民が神や神社に位を贈るってどういうことだ?神はおきつね様か?と言われていたが。身の程が分かるというものだろう。これに違反していたら速やかに天神罰が下っていくだろう。(霊人の違いがあるが)5段階から12段階の天罰が用意されていると霊言に書かれていたので(コロナが1段階目だそうだからどれ程か、かも)、身の程が分かるというものだろう[唯物論無神論、根拠なく神より偉い等の自惚れ、他等間違いを分からせるまで徹底的に起こすと言われている。生きるだけでも目一杯になるだろう(まで)、と。]まあ昭和時代から平成、令和へと社会が悪化の落差の程度加減がその罰の量の加減とも考えられる。はっきり分からないが、僕は。まともな考え方、生き方をしてきた人とか世代の人が亡くなる等他で少なくなって社会の中枢から少なくなるに連れて天罰みたいのが多発するようになっているように見えるが。何か天意を感じずにはおれない気になる。

 

霊格の高め方】

 ドクター中松とかエジソンだとかの言葉に「天才とは99%の努力と1%のひらめき(インスピレーション)」というのがあったと思うが『智慧の法』という本にも毎日コツコツ努力勉強していて相応の力がついた時に良いインスピレーションが降ろされるとあった。努力なくてまともなインスピレーションは無いよう。

 そもそも天才というのはその分野で先天的な才能があることを言うのであって、その分野での天才に勝つことはまず無理のよう、やめた方がいいと教わった(労力が無駄になる)。自分の得意の領域を伸ばしていくのが正攻法のよう。努力しない才能の持ち腐れをコツコツ努力でいつの間にか抜いていることはある。

 天才とは先天的なことだから、努力の天才というのはあるが、先天的な才能を後で付加できたら天才とは言わないだろう。せいぜい秀才という言い方。その考え方に言及していないのはどこか大いにいびつな所がある。人生バランスが崩れていきそう。正攻法でないのはどこか危うさを感じる。バランス反動?

  40歳以降と初めて読んだのは少し遅いが司馬遼太郎(菩薩)の『竜馬がゆく』[竜馬(過去世劉備玄徳・女神ガイア)は菩薩、勝海舟(過去世諸葛孔明ハンニバル)は菩薩だったか如来だったか?]も相当良かった。吉川英治も菩薩界の人のよう。こういう人の書いたものの考え方はまず正しく、人生の指針にできる。渡部昇一(梵天界(7次元菩薩界と8次元如来界の境界)、過去世ベンジャミン・フランクリン在原業平)の『知的生活の方法』(オススメ)やハマトン(7次元菩薩界)の『知的生活』など一連の書籍等どれ程ためになるか。こういう書籍、著者には歪んだいびつさが無い。正攻法。

 渡部昇一の『知的生活の方法』という本に繰り返し読むということは、再読時細かい言葉の使い方、表現とか他気付き等も得られていき、繰り返すということはセンス(趣味)ができてくる方法の事書かれている。これ、音楽鑑賞他様々な作品鑑賞(もちろんいい作品だろうが)に言えること。僕は幼少時はドラえもん繰り返してセンスができてくること実感したことある。高校時代以降は音楽鑑賞も。今ではいい本をできるだけ繰り返すようにしている。

 以前、『太陽の法』の真理の宗教で、「教養(を身につける)とは歴史(を学ぶこと)」と教わったことあって、38歳の頃から10年くらいかかって歴史(高校の日本史・世界史)を勉強してかなり身についてきた(まだ途中だが)。中学校までの歴史は身についていたのだが、高校のは高1時に日本史の平安時代くらいまでを学んだくらいしか知らなかったので、一通り参考書に目を通すと、歴史小説が理解できる、歴史が使われている本他が理解できる、(現代)社会を歴史的な視点から俯瞰できるなど副次効果が相当あるので人生の早い段階から身につける努力をしておくべきものと思う。

 

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」福沢諭吉の『学問のすすめ』の書き出しであるこの言葉は、多くの日本人に知られています。ただ、このあとに続く文章を知る人は、あまり多くありません。彼はこう書いています。「人間の賢愚の別は、学ぶか学ばないかによってできる」つまり、人間は賢い人間と愚かな人間にわかれ、それは学ぶか学ばないかによると、諭吉はいっているのです。

(齋藤孝中野信子・山口真由『人生の武器になる「超」勉強力』p21)

 

他、おすすめの本→(1)くらま『すごい貯蓄 最速で1000万円貯めてFIREも目指せる!』(KADOKAWA)(2023・1・9購入)、(2)節約オタクふゆこ『貯金はこれでつくれます 本当にお金が増える46のコツ』(アスコム)(2023・12・24購入)、(3)勝間和代『勝間式 金持ちになる読書法』(宝島社)(お金について詳しくなるきっかけになった本引き込まれるように読んだ今(2024年1月)4回目読んでいる、お金について2冊目(2022・3・15購入))、(4)勝間和代『無理なく続けられる年収10倍アップ勉強法』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)(2023・3・20購入)、(5)オグ・マンディーノ『世界最強の商人』(角川文庫)(2023・6・9購入)、(6)本田静六『私の財産告白』(実業之日本社文庫)(2022・11・27購入)、(7)勝間和代お金は銀行に預けるな 金融リテラシーの基本と実践』(光文社新書)(2022・11・30購入)、(8)江原啓之『金霊(かねたま) 人生を変えるお金の極意』(徳間書店)(最初に買ったお金についての本(2021・10・18購入))、(9)勝間和代『最後の英語やり直し!』(毎日新聞社)(2023・9・8購入)、(10)大川隆法エル・カンターレ人生の疑問・悩みに答える 幸せな家庭をつくるために』(幸福の科学出版)(2021・3・15購入)、(11)大川隆法『凡事徹底と独身生活・結婚生活 仕事力を高める「ライフスタイル」の選択』(幸福の科学出版)(2018・2・26購入)、(12)大川隆法『夫を出世させる「あげまん妻」の10の法則』(幸福の科学出版)(2014・11・23購入)、(13)大川隆法『あげママの条件 子供を上手に育てる8つの考え方』(幸福の科学出版)(2015・9・18購入)、(14)勝間和代『2週間で人生を取り戻す!勝間式 汚部屋脱出プログラム』(文春文庫)(2024・1・15購入)、(15)大川隆法『限りなく優しくあれ 愛の大河の中で』(幸福の科学出版)(2005・9・4購入)、(16)大川隆法『コーヒー・ブレイク 幸せを呼び込む27の知恵』(幸福の科学出版)(2006・7・1購入)、(17)大川隆法ティータイム あたたかい家庭、幸せのアイデア25』(幸福の科学出版)(2007・5・30購入)、(18)大川隆法『アイム・ファイン 自分らしくさわやかに生きる7つのステップ』(幸福の科学出版)(2008・5・2購入)、(19)大川隆法エル・カンターレ人生の疑問・悩みに答える 霊現象・霊障への対処法』(幸福の科学出版)(2021・11・16購入)、(20)『悪魔からの防衛術 「リアル・エクソシズム」入門』(幸福の科学出版)(2017・7・1購入)、(21)大川隆法『悪魔の嫌うこと』(幸福の科学出版)(2020・6・1購入)(優先して必ず読むこと)、(22)サミュエル・スマイルズ『自助論』(三笠書房、知的生きかた文庫)(2013・11・5購入)(明治の日本を押し上げた世界的名著)、(23)サミュエル・スマイルズ『向上心』(三笠書房、知的生きかた文庫)(2013・12・5購入)、(24)外山滋比古『日本語の絶対語感』(大和書房、だいわ文庫)(2021・4・1購入)(乳幼児教育はこれだ。仏法真理の信仰生活もいいが)、(25)外山滋比古『わが子に伝える「絶対語感」:頭の良い子に育てる日本語の話し方』(飛鳥新社)(2024・3・13購入)、(26)湯川秀樹『旅人 ある物理学者の回想』(角川文庫)(1990年頃、高二時)、(27)飯田史彦『ツインソウル 死にゆく私が体験した奇跡』(PHP研究所)(2008・10・3購入)(ツインソウルの見つけ方→何の本だったか忘れたがツインソウル同士は爪の形がそっくりだとのこと)、(28)ブレンダ・デーヴィス『[切り離された魂を引き寄せる]過去世ソウルヒーリング』(徳間書店)(2008・10・3購入)(ツインソウルについても詳述されている)、(29)渡部昇一『知的生活の方法』(講談社現代新書)(2017・5・1購入)(2024年4月現在4回目読んでいる所)、(30)エマヌエル・スウェーデンボルグスウェーデンボルグの霊界日記 死後の世界の詳細報告書』(たま出版)(2005・4・2購入)、(31)如月(きさらぎ)マヤ『アカシックレコード・リーディング 悠久の記憶から“いま”を読むために』(ハート出版)(2008・10・3購入)(『太陽の法』の仏法真理の宗教ではアカシックレコード(アーカーシャーの記録ともいう)を読むには8次元以上でないとできないと教えられているが、この本では実は誰でもできるとのこと。僕もそう思う。)、(32)飯田史彦『ソウルメイト 「運命の人」についての7つの考察』(PHP文庫)(2024・3・18購入)、(33)飯田史彦『[完全版]生きがいの創造 スピリチュアルな科学研究から読み解く人生のしくみ』(PHP文庫)(2024・3・18購入)(この著者の本はこの本から読むのが分かりやすくて良いよう)、(34)桑原知之『サクッとうかる 日商3級テキスト第3版商業簿記』(ネットスクール)(2023・5・8購入)(2007年にも福島三千代さん著のサクッとうかるシリーズを購入していたが少ししか読んでいなかった。今の著者のはかなり分かりやすくなっている。2023・5月~9月頃までに13節(全47節)、100ページくらいで仕事が忙しくなって時間が取れなくストップしてしまい忘れていたので2月頃からまた最初からやり直しているが。まだ1節だが。週に1節のペースでやっていた。1節に2~4時間くらいかかる。トレーニングも含めて。短い節は1時間のことも。その日の始めには必ず前節をさらっと復習していた。忘却曲線から言うと、翌日に一回復習、1週間後に2回目復習、1ヶ月後に3回目復習、これで大体記憶が定着するよう(『太陽の法』の真理の宗教で教わった。普通そうだろう。まだ気になる所などを何回も読み返すと更に記憶が定着すると思う。))、(35)桑原知之『サクッとうかる 日商3級トレーニング第3版商業簿記』(ネットスクール)(2023・5・8購入)、(36)大川隆法『地獄の方程式 こう考えたらあなたも真夏の幽霊』(幸福の科学出版)(2013・6・21購入)(必読の書)、(37)滝澤ななみ『みんなが欲しかった!FPの教科書3級 ’23-’24年版』(TAC出版)(2024・4・6購入)、(38)滝澤ななみ『みんなが欲しかった!FPの問題集3級 ’23-’24年版』(TAC出版)(2024・4・6購入)、(39)福沢諭吉齋藤孝=訳『現代語訳 学問のすすめ』(筑摩書房ちくま新書)(2018・4・11購入)、(40)齋藤孝中野信子・山口真由『人生の武器になる「超」勉強力』(プレジデント社)(2021・4・15購入)、(41)齋藤孝『夜型人間のための知的生産術』(ポプラ社、ポプラ新書)(2017・11・8購入)(2024年4月現在4回目読んでいる所)、(42)滝澤ななみ『スッキリわかる 日商簿記3級2024年度版 テキスト+問題集』(TAC出版)(2024・4・16購入)(使いやすい方を使えばいい。2級はこちらを使おうと思うが。3級はどうしようか→よくよく見てみるとサクッとシリーズの方が、詳しく分かりやすい。これなら2級もサクッとシリーズ使いたく思う。本試験予想問題集だけスッキリ使おう)、(43)滝澤ななみ監修『スッキリわかる 日商簿記3級 本試験予想問題集2024年度版』(TAC出版)(2024・4・16購入)

 

 

『情報化社会の教養の磨き方 知的生活の始め方』

[問]高校を卒業して、これから大学に入学するのですが、もっと努力しなければならないと思っています。世界を見通す力と世界を深く知る力を身につけるための、具体的な「知的生活のすすめ」について教えて下さい。

          2013年2月28日 幸福の科学学園那須本校における質疑応答より

「「一歩進まずに一日を終わらない」という気持ちを忘れない」

 この世の人生は有限です。だいたい二万日ぐらいしかありません。そのうちの何分の一かは、もうすでに皆さんは使ってしまったはずです。

 大学に行っても、いろいろな遊びがあるでしょう。遊びたいときは遊んでもいいと思いますけれども、その一日一日は、砂時計の砂が落ちていくような一日だということを、どうか忘れないでいただきたいと思います。

 もちろん、人間として必要な経験があります。たとえば、旅行したり、海外を体験したりすることもあるでしょう。あるいは、いろいろな遊びもあるし、映画を観ることも勉強になります。いろいろな経験があると思いますので、全部を否定するわけではありません。

 けれども、「一日一日は、確実に失われていく一日である。あなたにとって、限りある一日である」ということだけは、絶対に忘れてはいけません。「一歩進まずして、今日一日を終わることはない」という気持ちだけは忘れないようにしてほしいとおもいます。

 いろいろな楽しいこともあるでしょう。彼女とのデートの一日もあるでしょう。そういう一日は、無駄だとは言いません。人生にとって非常に大事です。将来、宗教家になる場合でも、そうした経験はだいじなことがあります。徹底的に振られたりすると、後ですごく深く、内省的な人間が出来上がることもあるので、無駄とはいえないのです。

 それはそれで構いませんけれども、ただ、あなたの一日は過ぎ去っていきます。ですから、「一歩進まずして今日を終わらない」と思ったほうがいいでしょう。

 一日を振り返り、「どの部分で、自分は一歩を進めたか」、あるいは、「人類の歴史を一歩進めたかどうか」ということを振り返る習慣を持っていただきたいのです。

 もし無駄に過ごしたと思ったら、必ず取り返そうとしてください。翌日でも、翌週でも、取り返していただきたいと思います。

 やることは山のようにあります。いろいろな選択肢があって、あれもこれもやってみたいことだらけでしょう。それを、どう選択し消化していくかで、あなたの人生が決まっていくのです。

 大学生になった後は、何を選び取っていくかということについて、誰も教えてくれません。学校のうるさい先生方や、寮のハウス・ペアレントも、もういないのです。夜中に家に帰ろうが帰るまいが、誰も何も言わなくなります。時間をどう使うかは、あなた次第になってきます。

 ですから、自分の良心に忠実に、反省を重ねて選び取っていただきたいと思います。

「努力を続けた人には「学徳」がにじみ出てくる」

 私が言っているようなことが、一見無駄に聞こえるかもしれません。「大学に入ってまで、まだ努力しろとか、勉強しろとか、万巻(まんがん)の本を読めとか、ばかなことを言うんじゃない。マンガの本なら分かるが、万巻の本なんて読めるものか」という気持ちも、おそらくあると思います。けれども、騙されたと思って、やれるものならやってみたらいいのです。

 三十歳になって他の人と違いが出なかったら謝ります。三十歳になって他の人と一緒だったら、それは謝ります。努力を続けた人は、絶対に他の人とは違う、別人になっています。他の人と違うところが明らかに出てくるのです。何とも言えない、自分を律した人間特有の「学徳」のようなものがにじみ出てくるからです。

 学生時代、あるいは、会社に勤めていても、若い時代には一生懸命勉強していることが、自己本位でエゴイスティックに見える場合があり、それでいじめられることもあります。実際、「世界を救うために自分は今勉強しているんだ」ということを他の人が分かってくれないことが多いのです。

 でもいずれ、分かるときが来ます。そのことは自分だけが知っていればいいことですから、誤解を恐れないでやったらいいと思います。

 周りに対して感化力が出てこないような人間であれば、結局は大したことはないということです。周りに対する感化力は、やはり、「自分をどれだけ鍛えたか」ということから生まれてくると思います。

 ここまで来たのだから、騙されたと思ってあともう少し頑張ればいいのです。

 三十歳までに、ほとんどの人が消えていき、普通の人々の群れのなかに入っていきます。志を失わなければ、三十歳あたりで非凡さが出てきて、「非凡な人間」ができてくると思います。それから後は、仕事のレベルでどこまでやれるかということになります。基本的には、どの分野に行こうと同じだと思います。

 大学に入って、遊びたいこともあるでしょう。少しはそういうことがあってもいいですが、それで4年間遊んだらそれまでの人ですよ、ということです。[こういうことは中高生時代から始めてもおかしくはない。僕は高校でそういう例を見かけた。大勢いた(旧制高校生世代に似ている)。自分はできなかったが。大分遅くなったが]

 「愛読書を持ち良友をつくることが教養人への道」

 別に、学者になる人だけが勉強しているわけではなく、一代で事業経営者として大きくなったような人でも、たくさんの本を読んで勉強しています。ほかにも勉強の仕方はいろいろありますけれども、いちばん簡単なのが読書です。

 あなたがたの人生の次の師匠は、「本」だと言っておきたいと思います。良い本を読み続けることが大事です。

 ある程度の量を読まないと読書家にはなれないけれども、ただ読むためだけに、たくさん読んでいるわけではないのです。大量の本の中から、繰り返し読むに堪える本を探し出していくことが大事なのです。

 学校の勉強であれば、一回読んですぐ、続けて二回、三回と読んで本を暗記すれば、成績は上がったりします。けれども、社会に出てからの読書による勉強の仕方というのは、違う面があるのです。

 いろいろな本を読んでいくうちに心に残り、あるとき、一年後、二年後、あるいは三年後にもう一度読みたくなる本があるのです。そのときに読む。また、しばらくしたら読む、というように繰り返して読んでいると、自分が成長するにつれて、その本の読み方が違ってきます。著者のレベルと自分が近づいていくため、何回か読んでいるうちに変わって見えてくるのです。五回以上読むような本になると、かなり愛読書に近くなってきます。(七回以上でほぼ覚え愛読書になるよう。作者の言い回しとかがそらで言えるようになるとか。僕は7回ではまだ足りない、『愛、無限』は22回読んだが、かなり覚えたが完全に覚えるとかには全然至っていない。『成功の法』[20代、30代以前に本書を読んだ人の成功は相当なものになるだろう(何歳でも遅くはないが)、と書かれている。必読。オススメ。僕は30歳の頃読み始めた。今(2023年)、49歳。]も10回読んだがまだまだ覚え足りない。まあ、でも基本的な所は押さえてはいるが)

 一生のうちに五百冊の愛読書を持つことができたら相当の教養人だと、一般には言われています。なかなか愛読書を五百冊も持てないのです。数十冊も持てればよいほうで、繰り返し読む本はなかなか持てません。そういうふうに繰り返して読める本をつくることが大事だと思います。

 それから良友をつくることです。これはなかなか至難の業です。教養に差が開いて来たり、仕事の行き先が違ってきたりすると、友達になれない人がたくさん出てきます。そのなかで良友をつくることは難しいでしょう。

 もう一つ、幸福の科学学園の生徒たちは、せっかく同じ釜の飯を食べた者同士ですので、何かのときには助け合うような関係を作っておいてほしいと思います。

 世界中のすべての人が彼(質問者)を見放したときも、この学園の同級生たちは、必ず助けてあげてください。世界中から彼が見放されて、たとえ十字架に架けられるときでも、学園生は信じてあげてください。

 そういうことが大事だと、私は思います。

        (『ザ・リバティ、2014年3月号』より) 

 

『一流の勉強法に学ぶ3つのポイント』

 一流の人の勉強法に共通するのは次の3点だ。

 まずは、「自分のしたいことがハッキリしている」ことだ。漫然と勉強するのではなく、仕事に必要なものや、好きなことが明確なのだ。「問題意識がはっきりしている」ということでもある。他の人から「やらされている」のではなく、自分自身の本心から、学びたい、詳しく知りたいと思っているから、長く続けることができるのだ。

 次に「徹底的に量をこなしている」ことだ。中島氏(作家・中島孝志氏)が「(読書の)千本ノック」と言うように、ある程度大量の本を読むうちに基本的な考え方が身につくようになる。また、何を読むべきか分かるようになるため、時間を短縮できるようになる。そうするうちに、勉強することが習慣になって、だんだん楽しくなる。渡部氏(渡部昇一上智大学教授)が言うような、「やっていることが嫌ではない」「なんとなく楽しい」という境地がまさにその域だろう。

 3つ目は、「勉強したことをアウトプットする」ことだ。勉強したことを頭の中に仕舞っているだけでは何の意味もない。文章を発表したり発言したりすれば、何らかの反応が返ってくる。すると、思わぬヒントや改善すべき点、至らない点も見えてきてそれが次の仕事につながるという好循環をもたらす。

 こうしてコツコツと勉強を続けていくと、未来に向けての準備をすることにもなる。思いもよらない仕事での成果として現れることもあるし、会社を退職した時、第二の人生を送る準備になることもあるだろう。

大川総裁の教えに学ぶ勉強の進め方』

 もちろん、こうした一流の世界に簡単に到達できるわけではない。大川隆法幸福の科学総裁は、どういう段階を踏んで勉強を進めていけばいいのか、数々の説法で説いている。これまでの教えを整理してみよう。

  • まずは、学びたい分野に関する「新書2,3冊」を読むことから始める。それによって基本的な知識を得ることができる。
  • 何を読めばいいかわからない場合は、自分が気に入っている著者が参考文献に挙げていたり、紹介している本を読んでいく。これを“つるったぐり読書法“という。
  • ある分野の本を100冊読めば、専門的な話ができるようになる。(確かある分野の本を100冊読めば本が一冊書けるようになる。でなかったか?)
  • 様々な分野の本を1000冊読めば、自分なりの一定の視点を持てるようになり、専門家に意見できるようになる。
  • 読書量が2000冊を越えると、思想家として世に立つことができるレベルになる。

 一朝一夕に1000冊読むことはできない。しかし、1日1冊ずつ読めば3年で到達可能だし、週に2冊でも10年で到達できる。コツコツと勉強を続けることは、誰にでも可能である。

 最初から勉強をあきらめてしまうのはもったいない。自分にとって本当に大切なこと、成し遂げたいことならば、続けるのも苦ではないし、習慣になれば楽しみにもなるのである。

 一流レベルになるまで勉強しようと決意する人自体が極めて少ない。だからこそ、チャレンジすれば、それだけで一歩抜け出し、一流の人材になれる可能性は十分に出てくるのだ。

 学徳ある一流の人材を目指し、一歩を踏み出そうではないか。

       (『ザ・リバティ、2013年5月号』より)

『読書との向き合い方』

「自分にとって大事な本とそうでない本をチェックして分ける」

 今回は「読書論」の一端について話してみたいと思います。本は読んでみないことには分からないので、まずは読んでみてそのあとで、自分にとっての大事な本とそうでない本をチェックして分けていくことです。

 そして、大事な本については、一定の期間をあけて繰り返し読むことが大切です。一冊の本を読むごとにメモやノートなど取っていると、負担感が大きくてたくさんの本が読めなくなっていくので、まずは繰り返し読むことを勧めたいのです。

 したがって、本には遠慮せずに赤線を引いていったほうがよいのです。自分が良いと思ったところには、どんどん赤線を引くなり、上の余白に何行かに渡って弓形のオーバーラインを引くなりして、読んでいくべきです。一回読んで心に残らなかった本は、そこまでの付き合いにしてよいと思います。読み切れない本もあるでしょうから、そういう本は捨ててもかまわないと思います。

「大事な本は期間をあけて繰り返し読む」

 しかし、一回読んで心に残る本はあるはずです。そういう本は、別の所に置いておき、時期が来たら、もう一回読むとよいのです。二回、三回、四回、五回と繰り返し読んだ本が、やはり、自分の思想に近いといえます。他の人が書いたものであっても、「共鳴する部分」は自分の思想と同じなのです。共鳴しないものにはまったく共鳴しないので、繰り返し読むものが、自分の考えに近いということです。

 三回、四回、五回と、繰り返し読むと、人生観のように深く染み渡ってきます。時間がなければ、「赤線を引いたところだけを、繰り返し読む」というかたちでもよいと思います。あまり早い段階でノートをつくるのは、無駄が多いでしょう。

「繰り返し読める本を身近に集めていく」

 しかし、まずは本を読まなければ駄目です。自分の本であるならば、気にせずに、大胆に赤線を引くことです。人が見たら笑うような部分でも、かまわずに線を引いてください。赤線を引くのが面倒であれば、オーバーラインでもよいので、とにかくチェックをしていくのです。[ラインの引き方から始まり本の読み方についての本は、M.J.アドラー C.V.ドーレン著『本を読む本』(講談社学術文庫)に詳しい。1940年発刊のベストセラーで今まで本の読み方は自己流で今一つ分かっていなかったがこの本は初めて見た読書法の教則を学べることにワクワクしながら読んでいる所。最高の手引書らしい。オススメ]

 大事な本は繰り返し読み、そういう繰り返して読める本を身近に集めていくと、だんだん自分なりの考えが出来上がってきます。

 そのあと、専門的に勉強するときには、カードを取ってファイルしても、ノートをつくってもかまわないのですが、そういうものに手を出す前に、ある程度、本をよみ込まなければいけません。何回か繰り返し読むことに堪えない本は、あまりノートやカードをつくらないほうが、時間的には効率が良いと思います。

「「考える」ということができるようになるためには」

 私の体験から言うと、本当の意味で「考える」ということができるようになったのは、二十歳ぐらいからです。それまでは、「考えていなかった」という気がします。

 何かの判断や思いつきの意見、妄想や煩悩など、グルグルといろいろな雑念は出てくるのですが、何かまとまったことを考えることはできませんでした。少なくとも高校時代ぐらいまでは、断片的に考えることしかできなかったのです。

 「考える」ということができるようになるためには、ある程度、「知的な資本」が必要です。さまざまなものを読んで、考える材料を持っていないと、考えること自体ができないのです。

 私自身も、ある程度、本を読み込み、多読して、いろいろなことが分かり始めてから、考えることができるようになってきました。

 私の著書『太陽の法』にも少し書きましたが、学生時代には、私は東京都世田谷区の、井の頭線東松原駅から徒歩三、四分のところに住んでいました。

「羽根木公園での散策の思い出」

 近くには、羽根木公園があり、その向こう側が梅ヶ丘の町になっています。公園の丘の上には、東京でも有名な梅林があるのですが、そのあたりを、私は西田幾多郎の「哲学の道」に模して、自分なりに回遊するルートを決め、夕方ごろによく歩いていました。

 私は、そのころに、いろいろなことを考えるようになってき始めたのです。歩きながら、「いろいろなことを考えているな」ということが、自分でよく分かるようになったのです。

 それ以前は、そうではなかったと感じます。そのときの自分の感触から言うと、ほとんどの人は、「考える」ということができないのではないかと思うのです。「もしかすると、世の人々は、衝動的に生きているか、条件反射的に生きているのではないか。本当は考え事ができないのではないか」という感じを、そのときに持ったのです。

 みなさんは、「考える」ということができるでしょうか。「考える」ことができるためには、やはり、「ある程度、考える材料を手に入れ、それについて、いろいろと思いを巡らす」という機会が必要なのです。

「“本を読んでも本に読まれるな”」

 大人でもそれができない人は多く、かなり年配の人でも、衝動的に生きていたり、条件反射的にいろいろなことを言ったりしていて、その前後には何も考えていない人が数多くいます。もしかすると、「考える」ということは、なかなかできないことなのかもしれません。

 ドイツの哲学者ショーペンハウエルなどは、読書について、「本を読んでも、本に読まれるな。読書ばかりしていると、ばかになるだけだ。本を読んでいると、いろいろな人の思想がたくさん入ってきて、頭のなかは“がらくたの山”になる。だから、本ばかり読まずに考えよ」というようなことを述べています。

 しかし、彼もあれだけ大量の著作を書いている以上、読書はしているはずであり、ある程度以上の量は、本を読まなければ駄目なのです。

「雑読への注意点と、自分の思想をつくるヒント」

 だからといって雑読ばかりをして、あまり情報を入れすぎると、今度は無駄になる部分が出てきます。ある程度の本を繰り返し読んでいくと、自分なりの趣味が出てくるため、弾いてしまって読めないものが出てきます。そして、自分の趣味に合ったものについて、考えを巡らせていくと、自分なりの思想ができてくるのです。

 やはり、ある程度、基礎材料は必要であり、「本を読まないで考える」というのは難しいでしょう。

 ただ、マスコミ的、雑誌的な感じの読み方をしている人のなかには、知的ではない人が必ずいます。それは、たくさんの“がらくた”が目の前を通過しているだけで、何も残っていないからです。そういう人が書いた文章を読んでも、心に残りません。考えていないものは、書いたもの自体も残らないでしょう。

「考えたり瞑想したりする時間をとる」

 そういうものについては、気をつけて、ある程度のところで遮断しなければいけない面もあります。考えたり瞑想したりする時間も大事なのです。

 私が、「思想を考えることができるようになってきた」と感じたのは、三百冊ぐらいの本を読んだあたりでした。そのくらいの基礎知識を手に入れたら、自分なりにいろいろなことを考えられるようになったのです。やはり、考える材料が必要であり、材料がないうちは、考えることはできないのです。

 読書について、さまざまなことを述べました。考え方や生き方、あるいは読書をめぐる生活について参考になれば幸いです。

      (『アー・ユー・ハッピー?、2015年11月号』より)

 本を読むときは赤青他の色鉛筆または蛍光ペンなどでラインを引きながら読むと読み返す時、どこが重要かすぐ分かり読みやすくなる。蛍光ペンはインクがあっという間になくなるので真理の重要な書籍以外は僕は赤青色鉛筆を多用している(蛍光ペンは三回目以降に使うとそれ程減らないかもしれない)。本の再読で、一回目は赤色鉛筆、二回目は青色鉛筆、三回目は黄色の蛍光ペン、四回目はオレンジの蛍光ペン、五回目は赤の蛍光ペン・・・等とすれば、重ねて塗られた箇所が重要と分かる。重要さの程度の段階が重ねられた色で分かるという事になる。こういうのが実用的な本の読み方らしい。7~10回も読んだらほとんど線引き終わっているのですらすら読める。蛍光ペンは重ね塗りが良いよう。色は各々色々工夫して下さい。他、☆印、※印、その他色々自分なりに工夫した印[僕なら渦巻印を四つ(四角に寄せて書く)(青色鉛筆で渦巻印を書くと見やすい)、それを二回目、三回目・・・と青色鉛筆、赤色鉛筆(最初に赤色鉛筆で渦巻印を書いて後で青色鉛筆で渦巻印を重ね塗りしてもいい)、蛍光ペン(僕は蛍光ペンは円の内部に書いていっている、まあ色々工夫して下さい)で円で囲んでいく印(つまり円は外側から内部に向かって赤色鉛筆→青色鉛筆→黄色蛍光ペン→オレンジ蛍光ペン→赤色蛍光ペンとなっている、僕の場合は)]を余白につける等重要な所を目立たせるための工夫を色々して下さい(『本を読む本』(講談社学術文庫)(p58参照))。一重、二重、三重・・・と赤丸印を囲んでいくだけでもいいかもしれない(『知的生活の方法』(p74)より)。他、自分独自の印を考えるとか色々工夫、考えて下さい。

 簡単な分かりやすい本ならともかく、少し難しいような本なら一回目読むときは大雑把に概略(大約(おおよそ))をつかむくらいの読み方でいいらしい。赤線引きながら(引かなくとも)、上っ面を気楽に読んでいくだけでいいよう。赤線引く場合赤線だらけになるかも。二回目以降少しずつ深読みしていけばいい。一回目で合わないような本ならもう読まなくてもかまわないよう。一回目読んだ次の日にでも読む場合、一日目読んだところをもう一回読めば二回目読んだことにもなるか。復習になるし記憶にも少し残ると思う。その時二回目の青線以降を引いてもいいと思う。こういう読み方なら例えば10回読んだのなら20回読んだことにもなるとやや思う。実際は10回目だが、理解力は20回読んだことにも匹敵するかもしれない。あまり根詰めて早く無理やり理解しようと思うのはやる気なくなるので、のんびり気楽の構えで読んでいけばなんとなく読書は楽しいとか思えるのだが。僕の場合は。

外山滋比古『思考の整理学』(ちくま文庫)(直近の15年間で東大が7回、京大が9回販売ランク1位を獲得した書籍。2022年全国大学生協文庫ランキング1位。大学生で一番読まれている本。1986年発刊で過去販売累計270万部超のロングベストセラー。早いうちに(中高校生でも)読むのがオススメ)

外山滋比古『日本語の絶対語感』(だいわ文庫)(乳幼児期に施したい教育法が比較的分かりやすく書かれている。オススメ)

大川隆法『成功の法』(まえがきとあとがきより→「二十代、三十代(以前でも)で本書を手に取られた方の成功は相当なものになるだろう。四十代、五十代以降でも後半生に伸びるチャンスはある。まだまだ間に合う。何度も何度も繰り返してお読みいただければ幸いである。これほど圧倒的な光に満ちた本があるであろうか。これほど、勇気と希望に満ちた本があるであろうか。これほど、失敗し、挫折し、不安にとらわれ、劣等感に苦しむ人に励ましとなる本があるであろうか。浪人、失恋、失業、大病、家庭崩壊、人間関係の失敗、老いで悩む現代人への導きの光である。本書を信じよ。さすれば、あなたの未来の希望は現実化してくる。苦しみや悲しみの中にある時、本書を灯台の光とせよ。この奇跡の書を信じよ。家族に病人がある時も、自分自身が入院して苦しんでいる時にも、本書を毎日少しずつ読んで、生きる糧、勇気の泉としてほしい。必ず病気は好転し、家庭に喜びと明るさが戻ってくることだろう。」必読。オススメ。)

 仕事でも遊びでもその道のプロ(お金を貰っても文句言われないレベル)になろうとしたら1万時間がかかるらしい。1日8時間の仕事なら約5年。逆に言えば1万時間をかけさえすれば何でもプロになるということか。普通の人生でも家事とか生活自体でも5年というか1万時間は何度も繰り返しているので普通の人は人生の生活のプロと基本的に考えることができ自尊心を持ってもいいと思う。1万時間を目安に考えてもらえればいい。1万時間の間にインスピレーションとか天上界の計らいでプロ足るに相応しい経験を色々積まされるのだと思う(無意識的に)。

 

 偉人の伝記、記録に基づいた小説などを人生の折に触れて(10代、20代、30代・・・)読んでみると、若い頃と捉え方理解力が変わって(向上して)いって大変人生の教訓、指針にもなるらしい。(僕は高校時代、湯川秀樹の自伝読んだ(『旅人』)。小中学時代には学研の付録の偉人の漫画(繰り返し読んで今でも鮮明な印象・記憶に残っている[聖徳太子織田信長徳川吉宗高野長英牧野富太郎華岡青洲佐久間象山・・・他多数])が将来の目標設定に大変に参考になった(湯川秀樹(菩薩界)と野口英世に影響を受けた)。)

 最近は最初から天使的宇宙人とかいるからよくはわからないが、地球において天使(光の天使(6次元上段界、阿羅漢)、光の菩薩(7次元))になる方法はまず前述したホモ・スペリオールになるやり方に集約されているのではないかと思う。もう書いてある。金星人も天使じゃないかと思うが、最近金星から地球に集団入植(移住)してきた例があるそうなので地球で天使になるのは多分難しくやりがいがあるからなのではないかと思う(金星では今地球が面白いと言われているそう(←霊言に書いてあった)。)。難しい環境に身を置くほうが魂の奥行きというか無限進化が可能に地球ではなっている(プラスとマイナスがあるから。金星はプラスしかない。)ので金星にずっと居ると魂の進化が止まるからだそう。金星人も地球人も火星人も天使(光の天使、光の菩薩)になる方法が『太陽の法』の宗教で説かれている。ホモ・スペリオールまでは説かれていないが(何で僕が知っているのかと言うと教師用教本みたいな本に書いてあったから)、宇宙系人類ホモ・スペリオール(ニルヴァーナ)を目指す霊的自己実現のやり方がそのまま天使(光の天使、光の菩薩)になるやり方に通じていると思う。(途中)

 

 

『輝く未来を引き寄せる!心のそうじ術「八正道」入門編』

「部屋のそうじをするように心の中もキレイに」

 慌ただしい毎日のなかで、ふと心に浮かぶ家族問題や人間関係などのさまざまな人生の悩み。「この悩みがなくなったら幸せになれるのに。一体この悩みはいつまで続くんだろう・・・・・・」と、憂鬱な日々を過ごしている方もいらっしゃることでしょう。

 実は、目には見えませんが、心の中も部屋と同じでそうじをしなければ、ゴミが溜まってしまうものなのです。「あれが欲しい、これが欲しい」という欲望や怒りの心、グチや不平・不満、悪口など、マイナスの感情が心の中に溜まっている状態はまるで、たくさんのゴミを積んだ「ゴミ屋敷」。それでは幸せを遠ざけてしまいます。

 それらのマイナスの思い、「感情のゴミ」を見つけ、ていねいに取り除いていくことで、部屋のそうじをしたときのような晴れやかな気持ちになり、悩みから解放されていきます。その心のそうじ道具が、反省術「八正道」です。反省によって心のゴミを取り除けば、自然に感謝の思いが湧いてきます。

「「感謝」と「与える愛」で心の中をピカピカに」

 心の中のゴミがなくなったら、最後の仕上げ「磨きこみ」です。床を磨くように、心の中を「感謝」の気持ちと人を思いやる「与える愛の心」でピカピカに磨きましょう。「以心伝心」というように、人と人の心は通じ合っていますから、自分が変われば、周りも変化していきます。それにより、幸せの連鎖が生まれ、現在も未来も輝き出すのです。ぜひ、みなさんも心のそうじ術「八正道」で快適な心の空間づくりに挑戦してみてください。

[八正道を行う6つのメリット]

①内面から輝き、美しくなれる

 心の中にあった悩みが解消されるため、表情が明るくなって笑顔も増え、輝きが増して美しくなれる。

②心が折れなくなり、積極的になれる

 失敗を教訓にして乗り越えられるため、精神がしなやかで強くなり、かつ思慮深くやさしくなる。失敗が怖くなくなるため、明るく積極的になる。

③怒らなくなり、人にやさしくなれる

 自分が怒ってしまう「原因」がわかってくるため、感情が安定し怒らなくなる。また、相手の気持ちを理解できるようになるため、やさしくなれる。

④仕事ができるようになる

 仕事面での反省により、同じ過ちをくり返さないため、スピーディーで生産性の高い仕事ができるようになる。

⑤運命が好転する

 運命を好転させるためのカギは「正語」にあり。正しく積極的で明るい言葉を使うことで、自分の潜在意識が指令を受け取り、その方向にものごとが展開するため、人生が好転していく。

⑥幸福感と感謝の思いが深まる

 反省を続けていると、自分が恵まれていて愛されているということに気づける。幸福感に満たされるため、周囲の人や環境、神仏に自然と感謝ができるようになる。

[八正道の行い方]

step1.心地よい環境に身を置き、静かな時間の中で心を鎮める。

🔶キレイで整えられた空間に身を置く。リラクゼーション音楽などをかけるのもおすすめ。

🔶イスや床に姿勢をよくして座り、目を閉じる。

🔶呼吸に集中し、数息観(すそくかん)(※)で心を落ち着かせる。

※数息観・・・呼吸で集中力を高める仏教の教え。吸う息と吐く息を順番に「1.2.3.4」と数えながら、深呼吸をずっと続け、呼吸に集中する。

step2.項目にしたがって心を見つめていく(点検項目は自分なりにアレンジしてOK!ひとつの項目からスタートしてもOK!)

🔶[初級編]いきなりすべてを行うことは難しいため、ひとつの項目から始めてみても○。まずは「正語」の点検から始めるのがおすすめ。

🔶[上級編]「正見」から「正定」までの8つの項目にしたがって自分の心のなかを見つめ、点検していく。

 「八正道とは?」

 「八正道」とは、2600年前のインドでお釈迦様が説かれた、人類を幸福にするための具体的な反省の方法論。目でものを見て判断し、判断に基づいて言葉を出し、行動し、習慣化されていく・・・・・・という、人間が情報を収集して結論に至るまでの8つのプロセス(「正見」→「正思」→「正語」→「正業」→「正命」→「正精進」→「正念」→「正定」)に沿って反省する論理的な内容です。

 人間が幸せになるためには、心を正し、心の針の方向を天上界に向けるという事だと結論を出されたお釈迦様が与えてくださった、まさに人類の宝物なのです。1日の終わりや時間のあるときに、静かに心を見つめて実践すれば、その効果に驚くことでしょう。確実に自分自身が変わっていき、人生が好転していきます。ぜひ毎日の習慣にし、生涯を通して実践していきたいですね。

1.[正見]・・・物事を正しく見ているか、よく点検するということ。

[『太陽の法』では→一、自分は正しい信仰に基づき、ありのままに正しくものごとを見たか(「如実知見」)。正しく人を観察したか。仏のような心でもって、人々に接したか。正しい世界観、人生観を素直に受け入れたか。(正見)→愛する愛(5次元)]

□良心や道徳に反する見方で物事を判断していないか。

□他人を年齢や性別、肩書きや外見などで判断せず、まっさらな目で見ているか。

□自分自身の苦しみの原因を、人や環境、運命などのせいにしていないか。

step2→「息子の彼女のA子ちゃんは見かけが派手だから不良だと思っていたけれど、話してみたらしっかりしたいい子だったわね。私、人を見かけで判断していたのかも・・・・・・」と分析。

[アレンジ→人に頼らず依存せず、自分の足で立って自分の力で人生を切り開いていこうとしているか。人から恨まれるようなことを考えたり行動したりしていないか。人から恨まれているような時には相手の身になって考えたり行動したりしたか。(→人のことを考えていない時は愛を奪っていることになる。人のことを考えたときは人に希望を与え愛を与えたことになる。人のことを理解した時には人を愛したことになる。)人から恨まれているようなときには、愛を独占していなかったか。(→人のことを考えていないような時は愛を独占していることになる。人のことを考えた時には人に希望を与え愛を与えたことになる。)出過ぎた所、誇らしげな所はなかったか。むさぼりの気持ち、棚からぼた餅を望む気持ちはなかったか。]

2.[正思]・・・1日の間に心で思ったことをふり返りながら、正しい思いであったかを点検すること。

[『太陽の法』では→二、自分は正しく思ったか。自分の修行の志は正当か。心のなかにむさぼりや怒りや愚痴などの悪い想念を抱かなかったか。他人に対して悪しき想いを抱いたり、害心を持たなかったか。慢心したり、仏法を疑ったりしなかったか。仏法に反する考えを持たなかったか。また、正しく判断したか。(正思)→許す愛(7次元)]

□[貪(とん)]身の丈に合っていない過ぎた欲望、お金や異性、地位や食べ物に対して得られない苦しみを抱えていないか。

□[瞋(じん)]すぐにカーッと怒ってしまうクセはないか。

□[痴(ち)]グチや不満を溜め込んでいないか。

step2→「いつもイライラしてしまって、パパに当たるクセがあるわ。今朝も時間がなくてイライラして、『くつ下ぐらい自分で探してよ!』って怒っちゃったし。私、ちょっと怒り過ぎだったかしら・・・・・・」と分析。

3.[正語]・・・自分が語った言葉が正しいものであったかを点検すること。

[『太陽の法』では→三、自分は正しく語ったか。自らの良心に恥じるようなことは語らなかったか(真実語)。言葉で、他人を傷つけなかったか(悪口(あっく))。悟りを偽らなかったか(妄語)。他人を迷わし、うぬぼれさせたり(綺語)仲違いをさせ不安におとしいれるようなこと(両舌)をかたらなかったか。(正語)→愛する愛(5次元)]

□人にウソをついたり、心にもないほめ言葉、人を傷つける言葉を言わなかったか。

□グチや不平・不満などのマイナスの言葉を言わなかったか。

step2→「そういえば、近所のA子さんとの立ち話のとき、『近所のB子さんは本当におせっかいな人よね~』って悪く言ってしまったわ・・・・・・」

4.[正業]・・・良心や道徳に反しない、正しい行いができたかどうかを点検すること。

[『太陽の法』では→四、自分は正しく行為をしたか。修行者としての戒律を犯すようなことはなかったか。手や足やその他の身体器官が、法律に反する殺人・暴行・盗みや、性道徳に反する、不倫や、わいせつ行為、悪質な風俗営業での堕落した行為、ポルノへの傾倒などの罪を犯すことはなかったか。あらゆる生命を尊重し、仏・法・僧の三宝には布施を惜しまなかったか。(正業)→生かす愛(6次元)]

□仕事や家事に真心がこもっているか。

□暴力、不倫、盗み、法律に反することをしていないか。

□相手の身になって行動をしているか。

step2→「最近、スーパーのお惣菜に頼りがちだったわ。おそうじも適当だったし・・・・・・。心がこもっていなかったかもしれない」

5.[正命]・・・規則正しい生活をしているかを点検すること。

[『太陽の法』では→五、自分は正しく身(正業)・口(正語)・意(正思)の調和のとれた生活をしたか。酒やタバコ、賭博、麻薬などにまみれたよこしまな生活をしなかったか。生活の中に不平不満はなかったか。足ることを知っていたか。万物に感謝をしたか。また、仏のくださった二十四時間を活かし切ったか。(正命)→生かす愛(6次元)]

□暴飲・暴食などをして身体に負荷をかけていないか。

□家のそうじをせず、乱雑で汚れた空間になっていないか。

□お酒やたばこ、ギャンブル、夜更かしなどで不規則な生活をしていないか。

□贅沢などをしてムダ遣いが多くないか。堅実なお金の使い方をしているか。

step2→「新作のバッグが欲しくて、後先考えずにお店で衝動買いをしてしまったわ。子どもたちの学費がかかるから節約しないといけないのに、これはムダ遣いだったかも・・・・・・」

6.[正精進]・・・つねに向上をめざし、努力する習慣を持っているかを点検すること。

[『太陽の法』では→六、自分は正しく仏法心理を学んでいるか。修行の気持ちが薄らいでいないか。一体どれだけ悪から遠ざかり、善の種をまいたか。正しい努力を怠っていないか。(正精進)→許す愛(7次元)]

□適度な運動の習慣を持つなど、健康のために気をつけているか。

□新しい知識を吸収するために、読書などによる勉強の習慣を持っているか。

□悪いクセや性格を直す努力をしているか。

step2→「健康づくりのためにジム通いを始めたけれど、今週は全然行っていないわ。続けられない悪いクセを直さないと・・・・・・」

7.[正念]・・・明るく積極的な方向に未来を描いているかを点検すること。

[『太陽の法』では→七、自分は心を落ちつけて、修行とユートピア建設に関する正しい人生計画を抱くことができるか。自己実現の祈りは、仏の心にかない、悟りを高め、自らの人格を高めるものか。また、仏法真理を深く理解し、教えを正しく記憶しているか。(正念)→存在の愛(8次元)]

□明るく積極的で建設的な将来のイメージをえがけているか。

□自分の思いが身勝手で自己中心的なものであったりせず、世のため人のためになるものであるか。

step2→「将来、年金がもらえなくなってしまったらどうしようと考えて、ネガティブな考えばかりしていたのかな・・・・・・」

8.[正定]・・・「正見」~「正念」までをふり返りながら心の悩みを晴らし、本当の自分を確認して平静な心で禅定に入ること。

[『太陽の法』では→八、自分は正しい精神統一の時間を持っているか。自らの過去の罪を反省し、その日一日をしっかりふりかえり、守護、指導霊に感謝してから就寝しているか。精神統一によって心の安らぎを得ているか。(正定)→存在の愛(8次元)]

□禅定のとき以外でも、心をおだやかに保っているか。

□日々、反省や瞑想など、心を落ち着ける時間をとっているか。

step2→「いつも時間に追われていて、落ち着いた時間を保てていなかったかも。心を見つめることも、あまりできていなかったな・・・・・・」

 

「時間がないときや初めての方におすすめ!心のデトックス反省術」

「八正道はなかなか難しい」「今日は疲れてしまったから早く寝たい」という方におすすめの、30分以内でできる反省方法をご紹介します。

step1.心地よい環境に身を置き、数を数えながら心が鎮まっていく感覚を味わう(目安は10分以内)[→心が鎮まる心地よい感覚を味わうのが反省を習慣づけるコツです]

step2.静かに心を見つめていく

  心が落ち着いたら、1日のできごとをふり返り、心の中を見つめ、以下の項目に沿って点検していく。

□[言葉]・・・「だれかを言葉で苦しめなかったか?」「人の悪口を言わなかったか?」

 思い当たることがあったら・・・・・・→素直に自分の非を認め、心の中で「ごめんなさい」と謝る。

□[人から与えられたこと]・・・「人からしてもらったこと、愛を与えられたことはなかったか?」

 思い当たることがあったら・・・・・・→心の中で「ありがとう」と相手に感謝をする。

「「反省」は気張らず継続することが大切」

 反省をするととてもいい効果ガ得られますが、そうは言ってもなかなか難しいもの。横浜正心館で「八正道」研修の講師を務めている私自身も、以前はうまく反省ができなくて、試行錯誤したことがあります。

 あるとき、「反省ができるまで夕食を食べない」というルールを自分に課して強制的にやろうとしました。3日目まではうまくできましたが、4日目に反省しようと思ったら、潜在意識が拒否したのか、「反省したくない」という思いがこみあげてきたんです。無理やりやろうとしましたがうまくできず、気付いたらなんと朝になっていました。“荒行”をしたからといって、心は統御できないのです。

 また、八正道のなかの「正見」で、物事を正しく見て判断するためには、正しい判断基準が必要なのも事実です。そのため、幸福の科学大川隆法総裁が説かれる、「仏法真理」を学ぶことをおすすめします。

 反省とは実に奥深いものです。八正道を徹底的にマスターしようと思ったら、1項目だけで10年かかると言われているほど。ですから、みなさんも「完璧」を求めすぎずに、生涯を通じて気長に継続していきましょう。また、70代、80代で反省によって変わられた方もたくさんいらっしゃいます。いくつから始めても大丈夫。心を見つめる八正道をぜひ始めてみてください。[あせらず気長にやるのが反省の習慣化の秘訣です!]

 

 

 

 

 

 

(僕の考え→基本的に『太陽の法』の反省項目を使って反省して下さい。)

      (『アー・ユー・ハッピー?、2014年1月号』、p38~45)

 

 

「男は40歳にもなったら自分の顔に責任を持て。」→リンカーンの言葉。40歳くらいになったら若さではごまかせないその人の生き方が人相として顔にはっきり表れてくる。『成功の法』にも人相についての対応法書かれているのでそれなど勉強して爽やかな人の人相目指そう。

 

 

 

【『私はアセンションした惑星から来た 金星人オムネク・オネクのメッセージ』より抜粋】

『魂の旅行ースピリチュアルなエクササイズ法』

 夜になると私たち家族はたいていは暖炉を囲んで皆でいっしょに座って、至高なる神性の法則のスピリチュアルなエクササイズをします。私たちがよく学習の時間と呼んでいたように、それはスピリチュアルな学びのために捧げていた時間で、それをせずに私たちの1日が終わることは決してありませんでした。精神的なエクササイズは本当にすべての仕事の基礎となる大切なものでした。それによって魂は現在の体を離れて一層高い世界を経験することができたからです(訳注:以下はオムネクがセミナー等で指導している瞑想である)。

 

『魂の旅行(瞑想へのガイド)』

 それでは私が皆さんのガイド役となって、魂の旅行へご案内しましょう。まずは物質的な世界から始めて、個人個人がそれぞれの世界または次元を超えていきます。各階層に対応するマントラ(真言)と色もお教えします。皆さんがすることはたったひとつだけーリラックスして試してみることです。中には瞑想に慣れていない人もいるでしょう。姿勢にはさまざまな種類があります。伝統的なポーズは蓮華座ですが、いすに座る時は背筋を伸ばして肩の力を抜いてリラックスして下さい。両 方の足元は必ず接触させて、ひざの上で組んだ両手の親指も接するようにします。このようにすると姿勢そのものが体にエネルギーを流れやすくします。またはベッドに横になっても構いません。両手を組んでおなかの上に置いて、親指どうしを接触させて下さい。足も互いに交差するか接触させて下さい。そして第3の目(眉間のあたり)に意識を集中させて、あたかもそこにテレビの画面があるようなイメージをしてください。肉眼で見るのではなく、そこに心を集中させて下さい。一番大切なことはこの旅全体を通してリラックスして心地よく感じていることです。瞑想のポーズをとったら、深呼吸を3回して心身を浄化して下さい。それでは始めましょう。

 

『第1次元 物理的な世界』

 最初の次元は物理的世界です。マントラは「アライア(Alaya)」です。この音は雷鳴とドラムを表していて、色はグリーンです。このマントラは肉体のエネルギーバランスを整え、活力を高めますので、体を精力的に使う際に役立ちます。緑色をイメージしながら「アライア」のマントラをとてもゆっくりと、少なくとも3回唱えます。深く深呼吸して・・・・・・では始めて下さい。

 

『第2次元 アストラル界』

 2番目の次元はアストラル界です。マントラは「カラ(Kala)」です。これは大海原の波の音を表していて、色はローズ(ばら色)またはピンクです。この音には情緒体にバランスと調和をもたらす効果があります。あなたが情緒的にとてもストレスを感じていて感情のコントロールが難しい時に、このマントラは各々の情緒に応じて効果的に働きます。泣きたくなったり、幸せに感じたりすることもありますが、そのどちらも情緒を安定させることに役立つのです。ばら色か桃色をイメージしながら「カラ」のマントラをとてもゆっくりと、少なくとも4回唱えて下さい。深く深呼吸して・・・・・・では始めて下さい。

 

『第3次元 コーザル界』

 3番目の次元はコーザル界です。マントラは「オゥム(Aum/Om)」です(訳注:「ム」は口を閉じて発音)。これは小さな鐘がちりんちりんと鳴る音で、色はバイオレット(すみれ色)または紫です。コーザル界には魂の経験が記録されていますので、この音には潜在意識にある過去世の記憶を表層意識に浮かび上がらせる作用があります。すみれ色か紫色をイメージしながら「オゥム」のマントラをとてもゆっくりと、少なくとも5回唱えて下さい。深く深呼吸して・・・・・・では始めて下さい。

 

『第4次元 メンタル界』

 4番目の次元はメンタル界です。マントラは「マナ(Mana)」です。この音は流れる水、または滴る水を表しています。色はブルーです。この音には、思考プロセスを刺激してバランスと調和をもたらし、精神的な混乱とストレスを排除する効果がありますので、知的な仕事をする際に有益なものです。青色をイメージしながら「マナ」のマントラをとてもゆっくりと、少なくとも6回唱えて下さい。深く深呼吸して・・・・・・では始めて下さい。

 

『第5次元 エーテル界』

 5番目の次元はエーテル界です。エーテル体は、創造された魂が渦巻く下層世界の階層へと降りていく旅のために最初に身にまとう外皮です。マントラは「ブァジュー(Baju)」です。これは蜂がぶんぶんいう音を表しています。このマントラは内在する創造的なエネルギーを刺激しますので、クリエイティブな活動に役立ちます。色はゴールドです。金色をイメージしながら「ブァジュー」のマントラをとてもゆっくりと、少なくとも7回唱えて下さい。深く深呼吸して・・・・・・では始めて下さい。

 

『第6次元 魂の世界』

 6番目の次元は魂の世界です。マントラは「シャンティ(Shanti)」です。これは荒涼とした風の音で、色は淡いイエローです。このマントラはこれまで述べたすべてのマントラの作用を持ち、それぞれの次元の体を調和させ、とても穏やかな充足感をもたらします。この音はまた、肉体の怪我、情緒的な危うさ、精神的な病など、あらゆるタイプの機能的な低下や障害を癒す作用があります。淡い黄色をイメージしながら「シャンティ」のマントラをゆっくりと、少なくとも8回唱えて下さい。深く深呼吸して・・・・・・では始めて下さい。

 

『第7次元 アナミ・ロクまたは神の世界』

 7番目の次元は創造の「空(くう)」と呼ばれるアナミ・ロク(Anami Lok:名のなき領域、の意)または神の世界で、そこから森羅万象そしてすべての魂を創り出すエネルギーが流れ出ています。そこは創造の中心なのです。マントラは「ヒュー(Hu)」です。これは宇宙の音楽で、色はホワイトです。この音は個人にスピリチュアルな啓蒙をもたらし、意識を高めて人生観を変えるのに役立ちます。この次元が私たちの起源であり、魂はあらゆる知識を求めてここに戻ろうとするのです(訳注:Huはスーフィーの聖なる言葉でもある)。白い色をイメージしながら「ヒュー」のマントラを少なくとも9回唱えて下さい。深く深呼吸して・・・・・・では始めて下さい。

 

 はい、では以上で瞑想を終わります。

 

 ここでご紹介したそれぞれのマントラは、それらが象徴する階層世界まで魂の波動を上昇させ、そこで体験すべき学習のプロセスへといざなうものなのです。物理的な世界よりも上層の世界に向かうにつれてバイブレーションも高まってきますので、ときおり瞑想中に高周波の音が聞こえてくることもあります。それは他の階層世界の音がチャクラを通して入ってきているもので、各階層に属した体の介在によって自己の内部で聞いているのです。その他のささいな感覚にも注意を払って下さい。ときどき頭頂部や第3の目あたりが開くように感じる人もいます。光やイメージを感じたら、それに従って一体化して下さい。そのような感覚は最初はかすかなものかもしれませんが、日々の練習によって強まってくるでしょう。瞑想とは各階層の体に対する一種のスピリチュアルな浄化であり、再び健全なエネルギーの流れに戻すものなのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

【(アダムスキーが会った?)金星人の宇宙人の長老の話の抜粋】(ここは僕の意見→)【人間型フォームの宇宙(人間世界)(物質レベルの3次元宇宙と多次元宇宙のことははっきりわかりかねるが、動物宇宙とか人間宇宙とか植物宇宙とか鉱.物宇宙とか何か宇宙概念があるのか?)というのは太陽(神的悟性)と理性(闇の宇宙?とか崩壊魂系)を統合して太陽が崩壊がある世界で崩壊した魂(スターダスト他レプタリアン(爬虫類動物みたいな竜?))ここで何だこの*2は。いきなり出てきた)(→**2)

 

 

(**2だかから続く→)にエネルギーを提供するためとか少し修行とかで人間フォームの霊格向上とかの目的であると思っているので本来闇とか地獄はないと思う(『阿蘇山噴火リーディング』の地球の地軸意識の霊言にも地獄の管理者でないとあるので地獄みたいのはまともな太陽世界とかには本来ない(崩壊した闇記憶の封鎖記憶領域みたいのをどういう世界だったのかとかその価値観ではどういう生き方が適切なのかとかを試すために実験星(崩壊世界がどういう世界だったのか見る目的?)と言われる地球で試していると勝手に考えている)と思う)。『太陽の法』とか2010年くらいの宇宙人リーディングみたいのにも地球ができる前の金星ではレプタリアンはいなかったみたいで、地球を作る時にレプタリアンを入れたとあるので、はっきり言ってレプタリアンが地獄の原因存在と思っているので、レプタリアン系を追い出せば地獄は太陽から消え、ある程度まともになるのではないかと考えている。その地球の地軸意識の霊言を見ても。太陽光の世界があって本来なら別に普通の状態があるのかもしれないが、その周りかどこかに謎の闇概念があってそれが小判鮫みたいに太陽世界に張り付いて(闇のUFOだかなんかで?)エネルギーを供給させてくれと言ったまま、ただ飯を喰らいたい放題、やりたい放題やって太陽世界に大迷惑をかけているのではないかと思っているので、エネルギー提供等なければ人間フォームの宇宙概念も無いのではないかと考えている。悪が何らかの理由である世界には警察はいるが、地獄とか悪がいないような世界なら(天国)警察とかは(必要)ないだろう。人間フォームという在り方が現れとしてあるだけで別のフォームなら別の在り方があるのだろう、と単純に形而上観念的に考えたりしているが。単なる太陽とか神とかなら、こんな毒みたいな酒とかタバコがうれしいとか人体や星を破壊できる作用がかっこいいとかいかにも(多分崩壊してどこかで封印されている(ような宇宙情報の本も何となく見たことある、この連中(レプ?)のことか?と))レプタリアンの魔物の価値観[通常の正常な認識感覚と反対のこと(まあ悪とか)がうれしいとか反世界みたいになっている(この世だかは地獄に似せて作っていると『愛、無限』とかにも書いてあるので、地獄概念世界だかは天国世界とは反世界だろう。つまりやはりこの世は地獄に似ている)(しかし、子供の頃はお手伝いとか肩たたきとか他友情、愛、努力とか天国的要素が生活の主流を占めていた場合もある(ことが多い)ことをみても、多分大人の価値観(とされるもの)が地獄的価値観なのだろう。この世界でも天国的価値観に基づいて生きることはいくらでもできるが、大人になるに連れて中々うまくいかなく下降した生き方になってしまうケースが甚だ多い。これが新約聖書なんかにある「天国への門は狭くそちらを選ぶものは少ないが、地獄への道は広くそちらを通る者は多い」ということの実情だろう。だから、この世は地獄に似せて作ってあるようなので何でもまともに信じてたらろくなことにならない。危険がそこら中に溢れている(ことに気づかないのは鈍いだろう病気、事故、怪我他沢山)ことを考えてみたら、危険意識、自己防衛意識、危機管理セキュリティ意識(大げさかもだが)、あと根本的に大切なのは(多分どんな価値の世界でもと思うが)「適切さ」(それは普遍真理の「真・善・美」とかに通ずる考方。あと黄金律とか矛盾律でも考えられるか?)を絶えず持って生きることがこの難しいような世界で生きる心得だと思う。)]等地獄的映画とか漫画作品等観れたものでないこと考えてみても本来全く関係ないか必要ないか、何かの物質レベル実験が必要なのか、分からないが、地獄の管理者でないなら本来の在り方では全くないのは自明的と思う。悪を行う自由が何か楽しいのかよく分からないが、リスクばかりで楽しくない方が多いとしか僕には感じられない。そんな作品とかゴマンとあっても全く触れないものがほとんどだもの。そんな悪趣味ばかり増えるばかりでさっぱり消滅しないのはおかしい。僕が考えるなら変なおかしな作品とか故障物はいきなり消えるとか普通と思うが。概念消滅。変な悪趣味ばかり増える一方等明らかにおかしい証明。それが永遠とか、塵の山が永遠に増えていくとか狂っている。明らかにおかしい。大バカ世界、多分偽物。どこまでまともか(人間フォーム)宇宙(概念)はっきり分からないと思う。という感想。】

 

 

 

 

 

 

【(アダムスキーが会った?)金星人の宇宙人の長老の話の抜粋】

 

あなたがた地球人は、共同で働く(ハーモニーを引き起こして)よりも、むしろ互いに敵対しあう共同動作(例えばライバル意識)を起こすことによって、絶えず不幸を招いています。あなたがたは、源を創造主に発しながら、他のものに成り下がってしまいました。

(神にある)自然の状態にある代わりに、自分に対して多くの誤った概念を加えております。ちょうど高貴な美しさを持つ美人が、多くのつまらない装身具を身につけて、結局その効果を高めるだけで、自分の美しさをだめにするのと同じです。

あなたがたは、真の生命または英知を伴わないものを加えることによって、これと同じことをやっているのです。

人間の実体の中にある先天的なものについて、話してみましょう。金星の私たちはそれに従って生活していますが、地球ではやっていません。ただしこの原理は他の惑星ばかりでなく、地球でも応用できるものです。

あなたがたは、人間が五つの感覚から成り立っていると主張し、さらに第六感、第七感などを加えています。真に存在する感覚を理解し発達させる代わりに、これらの独断的に考えられた感覚を、発達させようとしております。

透視力、透聴力、テレパシー、超能力などの力が存在することを明言するのに、一語で全部表現できるものを、少なくとも四つにそれぞれ分類しています。その結果、人間の真の本体が混同され、失われるようになっております。

これをもう少しはっきりと説明いたしましょう。第一に、人間はあなた方が自然と呼んでいる無機物と元素類による産物です。第二は、人体という知的表現として聖なる創造物の産物です。

人体の無機物と元素からなる部分は四つの経路、すなわち感覚を与えられており、その感覚を通じてその部分は、いわゆる物理現象として現れているのです。英知または神性はあなたがたが物質的といっている肉体全体の、あらゆる細胞を通じて現れております。

私が今述べた四つの感覚とは、視覚、聴覚、味覚、嗅覚です。地球のあなたがたが“触覚”と言っている感覚を私があげなかったことを考えてご覧なさい。というのは、触覚こそは他のすべての感覚に勝る“英知”であるからです。

このように説明してみましょう。

いかなる世界でもあなた方のような人体を作ることはできないし、それを生かすこともできません。これは創造主に依ってのみ可能です。そこであなたがたは、一つの肉体の内部で一つの肉体の形成が行われるとき、母になる人は別の肉体の完全な組み立てについて、何をなすべきかを知らないことを、認識する必要があるのです。

それでも胎児は完全な表現に向かって成長し、やがて、いわゆる物質の世界に生まれてきます。生まれるとき、この幼児は、眼、耳、口や鼻を持っています。目は初めてのものを見るし、耳は初めてのものを聴き、鼻は初めて嗅ぎ、口は初めて味わう。これらは肉体の一部分として創造されたのです。

肉体が初めて物質の世界を目撃するのと同様に、これら四種の表現経路も初めて物質界を見ます。肉体に属するからです。

しかし、幼児の母親は、幼児の肉体がどのように作られたかを、知りません。しかし、私が各種の“感覚”から除外した触覚は知っています。なぜならそれはこういうわけなのです。

赤ん坊がまだ母の胎内で成長しつつある間に、もし母の胎内に圧迫が加えられると、内部の胎児もその圧迫に気づきます。

この場合の両者の分離状態について考えてご覧なさい。というのは、生まれようとする胎児が母体内で、変化するための準備ができたとき、母親はこの行為を制御もしなければ指導もしません。この場合、この変化しようとする行為が、感覚を二つの異なる反応─母親と子供の反応─に分離してしまうのです。

このことは、感覚の分野において、両者の感覚が互いに独立して働いていることを立証します。

またこの“触覚”、または“感覚”は、英知の分野でも働いており、何をしたらよいか、いつやればよいかを、知っていることも立証します。それは“知る者”であるらしいのです。

私たちが分析の目的でこれを考慮に入れるとき、触覚は基本的なるもの、即ち実際には肉体の魂─全抱擁的な英知の一部として認められるのです。なぜならそれは一感覚であり、しかもご存知のように感覚は警戒の状態であって、これは私たちの言う意識的意識なのです。

さて、この意識が“人間”と知られる無機物とチリを離れるとき、眼、耳、鼻、口はもう機能を果たしません。肉体が無意識になると触覚のようなものを起こさないからです。

言い換えれば、人体を叩くことはできますが、人体は感覚という知覚作用または触れられているという感じは起こさないでしょう。

これに反して、もし人が目を失い、聴覚、味覚、嗅覚を失っても、意識である触覚は残ります。それで本人は多少とも生きて人間らしく動くことができます。そして人間が何かで打たれると、それは前述の場合と異なって、触覚または苦痛を感じます。

これで次のことが容易に理解できるでしょう。

すなわち人間と呼ばれる肉体の真の英知は、これまで非常に誤って用いられ、見当違いされていたものですが、実は触覚と知られている感覚が真の英知であり、肉体の魂または生命、なのです。

“人体”は─万物も同様ですが─その無機物や元素類が“四種”の主要な肉体的表現経路を通じて役立つように構成されていますが、一方、五番目の“触覚”は宇宙的なもので、これが他の四つに対して知覚力を与えます。したがって一度この触覚が離れると、他の四つは知覚力または機能を失うのです。

人間がこの事実を認めるとき、仮想(肉体次元?)の背後にある自己の実体を見出して、これがなされる(触覚が離れる?か何か?)ならば、長く住んでいた狭い牢獄(肉体次元?)は瓦解し、宇宙の住民になるのです。

そのままで人間は、いかなる物にせよ自分の住む惑星を含めて万物の中に働く法則を発見し、その時こそ人間は自分自身を“知る”のです!そうすることによって人間は万物を知ります。

また、それまで決して知らなかった、“大宇宙の英知”である創造主をも知ることになります。無機物の人間が創造主と一致した状態まで高まり、創造主とその子が一体化するのは、この認識または理解によるのです。

ひとたび地球人がこれを学び、悟って、心で知るばかりでなく、私たちがやっているようにそれを生かすならば、彼らは他の惑星で我々が持っているのと同じような、生活の喜びを持つようになります。

人間には付け加えるべきものは何もないことを、同胞に気づかせなさい。

人間は既に所有しているものを、表しさえすればよいのです。

しかし、所有しているものが何であるかを、理解しなければなりません。そしてこの理解を“実行”に移す必要があります。重要なのは実行であるからです。

ひとたびこれが達成されると、地球人の苦悩はすぐに消えるでしょう。というのは、そのとき視覚、聴覚、味覚、嗅覚の四つの感覚器官を作り上げるのに用いられているこれらの元素類は更に向上して、それにより各感覚器官がもっと敏感な器官になるのです。

しかもそれら各器官はいわゆる物質世界ばかりでなく、宇宙的な貢献をするでしょう。

 

 

 

 

未知のワクチンを打ち続けることのおかしさ、怖さを考えさせられる本と思う。

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 くけ