uguisumoti123’s diary

僕の日常の経験等から導来された感想、雑感等を思いつくままに(徒然なるままに)綴ってゆきたいと思います。理性より感性派の僕なりの視点で捉えた内観、作品鑑賞の感想批評他を感性派の僕なりの感覚を働かせて綴ってゆきます。写真他について、(レトロ)ゲーム、漫画、日常生活で感じた(気付いた)事の雑感、他。新型コロナワクチン問題も。知的生活の事も。Twitter:「餅@sinkoumoti」「うぐいす餅#2@uguisumoti2」「うぐいす餅@uguisumoti1」等も。生まれつき観音(霊格7~8次元)と思っている

僕の中二病の発端「1987年(感性)(の作品)」(中二時)についての見解、ヌミノースム体験

僕の人生の中で最も輝きに満ちていた(と考えている)時期、年を特定すると「1987年」この年に対する僕の思い入れ、こだわりについて話しておきたく思います。

 

 

僕の人生は1987年(の感覚)を中心に動いている(中二の頃だから中二病でずっと生きている?)と断言できるほど魅了された作品(アニメ、漫画、ゲーム、音楽、小説他)が多発した年が1987年であるわけです。

 

僕の感性が1987年時に流行っていた感性に最もしっくりフィットするといえばいいか。何か1987年に何か秘密でもあるのか【僕はドリームスペル(銀河の13の月の暦)の何かの一番最初の年でハーモニック・コンバージェンスがあった年だからなのかと密かに考えている】(←ひょっとしてこれも中二病の一種?)、と思いたくなる程僕の趣味の作品が多発して物凄い妄想、ときめき、自己過大評価他今でいう「中二病」の要件を満たす要素が溢れかえっていました。(今思えば僕の人生の全盛期?とも思え「いやーよかった、青春の恥ずかしさとかもあったがそれを差っ引いても十分莫大なお釣りがくる」と言える程魅惑、魅了された経験が多発した年と言える訳です)

河合隼雄『ファンタジーを読む』(講談社+α文庫、岩波現代文庫)に「ヌミノースム体験」(神聖な感じ、魅力、抵抗しがたい引きつけられる魅力、心が揺さぶられる、等)について詳述されています。一読(再読)の価値あると思います。

 

【僕が魅了されたその当時の作品を列挙しておきます。】

 

  • FC『ドラゴンクエスト2』:(1987年1月26日発売だから中二になる少し前だが1987年)の冒険の書の入力テーマの「LoveSong探して」が特に印象的(魅力)、他全編を通した空気感(魅力)がドラクエシリーズの中で一番好きな作品と僕が思う理由です。一番最初に購入したドラクエで『ドラクエ1』の続編が出るということで購入予約して入手(多分発売と同時)(した時の嬉しさ)してプレイして敵が3体だか並んで表示(『ドラクエ1』は敵は1体しか同時出現しなかった)された最初の感動は今でも忘れられない。とんでもない魅了だった。
  • アニメ『タッチ』(のTV作品エンディング):(~1987年3月22日)実は内容は少しじめじめしていると僕は感じられあまり好きではないがテーマソングは非常によかった。
  • FCディスクシステムリンクの冒険』:(1987年1月14日発売)『ゼルダの伝説』の2作目だが、雰囲気的にこれを超えるゼルダは未だ出ていないと思っている作品。ライフゲージがハートマークでなくバーだったが、実はこの作品の雰囲気の方が心(Heart)を感じさせられて未だ超えるシリーズ作品が出ていないと思う理由。『ドラクエ2』とどっちを買おうかと迷いましたが結局両方買ってしまった。それがよかった。
  • アニメ『エスパー魔美』:(1987年4月7日~、最初は『藤子不二雄ワイド』内で「パーマン」「プロゴルファー猿」との三部構成だったが1987年10月20日から単独枠に移行、僕の中二病の一つのEDテーマ「不思議Angel」が加わった。最初からのOPテーマの「テレポーテーション~恋の未確認~」も中二病の原因)その中で特に好きな作品は(第18話「サマードッグ」、第46話「雪の降る街を」等で中二病を引き起こした)
  • FC版『オホーツクに消ゆ』:(1987年6月27日発売)これも中二病を引き起こした作品。作品内に使われている曲の数々が今では神曲と言われている程で作品内容と相まって物凄い感動を引き起こした。エンディングは感動したなあ。[1981年の夏休みに父と母の仲人だった夫婦一家(娘さんは26歳くらいの中学教師、その弟は警察免許試験一浪人で取得中の公務員の家族の家(転勤族で昔から付き合いはあったがその当時は美幌に家があった。その家を拠点にして))の方に連れられて弟と3泊4日くらいの道東旅行している。その時の経験なければこの作品の理解力は乏しかっただろう。阿寒湖、摩周湖屈斜路湖、美幌峠、小清水原生花園、硫黄山他廻った懐かしい思い出です。非常に印象が今でも鮮明に残っている経験でした。中学教師も普通のお姉さんだったんだなあ。このゲームのシーンにも多少重ね合わせられる僕のロマンティシズムかな。(旅情っぽいものを感じた初めての経験だったと思う)][西暦で末尾に7がつく年に北海道を股にかけた(結婚をテーマにした、ナナをテーマにした)感動作品『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)ゲームだが『オホーツクに消ゆ』(1987年)が作られている(流行った)所を僕は注視している。僕の人生でも末尾が7の年にそういうことのテーマとか仕事を始める等の動きがある年回りという(僕にとっての)法則性を感じている(気づいた)。][1987年の10月10日頃(体育の日)にもこのゲームのプレイ後偶然に実家の近所の家族と以前廻ったようなこのゲームに出てくるような場所の道東旅行している。今でいう聖地巡りをいきなりしていたことになる(ことに気付いた)。別の集団で1996年8月にも行っている。和琴半島キャンプ場とかに泊まった。(今思えば)凄い。]
  • FC『デジタル・デビル物語 女神転生』:(1987年9月11日発売)最初の少しだけプレイしてクリアはしていない(初めてクリアしたのは1990年発売の『デジタル・デビル物語 女神転生2』の方でどちらも使われている曲が物凄くかっこ良く好きなシリーズ、音楽が全て格好いい)。しかし、最初の触りの音楽だけ聞いてもその当時の時代の明るさを反映しているような物凄い爽やかさ、センスを感じさせる曲が多く、魅了されました。その後のシリーズ作品の曲も魅了されっぱなしでサイバー作品に目覚めさせられた作品です。
  • アニメ『赤い光弾ジリオン』:(1987年4月12日~1987年12月13日)こういう(機械的な)未来感を感じさせられる作品で初めて爽やかで格好いいと思った作品(『ガンダム』シリーズはファーストガンダムしか好きでない。暗い、怖い、じめじめは好きでない)。OPテーマの「ピュアストーン」はその当時の日曜日の朝の爽やかさを彩ったかっこ良い好きな曲です。日曜日の朝の爽やかさは1979年からの『ドラえもん』等藤子不二雄先生シリーズがずっと彩っていましたが。朝の藤子枠はその当時なくなっていたと思います。『オバケのQ太郎』が記憶に残る最後か。
  • メイプルタウン物語』(1986年1月19日~1987年1月11日)『メイプルタウン物語 パームタウン編』(1987年1月18日~1987年12月27日):1986年から1987年にかけてですが、妹が視ていた幼少期の子供向けのアニメですが、テーマソングの爽やかさに惹かれて日曜日の朝に一緒に何となく視ていたと思います。僕は中二で妹は小一くらいと思いますが、僕の精神年齢はその当時低かったのかいつまでも児童向けアニメ(の魅力的なもの)から離れられなかった。今思えばかえってよかったかなとも思います。怖いアニメよりは遥かに心にいい。
  • 杉山清貴『水の中のAnswer』:(1987年5月27日リリース)ラジオで繰り返しかかっていたその当時のヒット曲でテープに取っておいて繰り返し聴いた曲。杉山清貴の曲の中で僕の中でベスト3に入る曲かも。大人の(恋)愛とは随分すごいものだとこんなすごい愛の形になるものなのかと印象に残った曲です。子供の見るアニメの愛の形と大人の感じる?愛の形の印象の違いがのちのちまで気になっていた曲と言えると思います。
  • 工藤静香『Again』:(1987年12月2日リリース)冬休みの塾の冬期講習の帰りに車の中で待っていた時にラジオから聞こえていた印象が残っている曲。その当時の精神年齢では歌詞の意味は分からないが(この歌詞の意味が分からないという僕の頭の構造は恐らく20世紀中はずっと続いていた、分かり始めたのは2005年(31歳)くらいかなあ。どんな頭だったんだ。だから鈍かったんだ)、何か曲の雰囲気がかっこ良く感じた曲。工藤静香の曲の中で一番好きな曲。歌詞の内容は深刻だが。
  • 桑原一世『クロス・ロード』(小説):(1987年12月1日発刊)1992年に文庫本発刊後すぐ読んだ青春小説ですが、「セイタカアワダチソウ」の出てくる街の雰囲気の僕の頭の中でのイメージが、成田空港から東京へ向かう列車の中で見た千葉県の街の数々の雰囲気(造り)にイメージがぴったりくるのには驚いた。現実にイメージの街があるとは驚いた。しかし、以前にも、聞いていた街がイメージと実際の見え方が近似していたことはあったが。しかし、「セイタカアワダチソウ」が・・・。

 

 

他、FC『さんまの名探偵』(1987年4月2日発売)、FC『プロ野球ファミリースタジアム』(1986年12月10日発売)、『ファミリースタジアム’87版』(1987年12月22日発売)、アニメの有名なヒット作品等数多くあると思います。

 

後、現在に近いですがDS『世界樹の迷宮2 諸王の聖杯』(2008年2月21日発売)の曲とゲーム内の街の雰囲気、建物内の曲と画(映)像の組み合わせが、僕の経験してきた1987年の雰囲気にぴったりくるのを感じます。昭和の懐かしさが感じられるとか何処かに書いてあったと思いますが、1987年のイメージしか思い当たらない、と思う。そういう意味で、僕は10年以上1987年の雰囲気を味わいたくて時折このゲームを少しずつプレイしているのです。奇跡に思った神ゲーと僕は思っています。

 

精神世界の話を参考に入れると、5次元というのは精神価値(の高さ)が5次元時間ベクトルだから、その後の平成時代の時代悪化凋落ぶりを見ると、現時点での地球での5次元時間の一番未来は1987年になるのではないかと感じている(未来への希望があるような雰囲気だった)。1987年の精神価値(の高さ)時間を超える未来形成が目標とは言えると思う。現在は地獄みたいな過去だ。大あほが実態。

僕が感じる所では外国(聖霊なら金星未来形)の特に音楽作品(人類の歴史を見るとどこ(どのジャンル)にも色々あるかも)に精神性の高い(未来的)何か夢の中とか理想郷(像)を想起(イメージ)しうる心象を感じさせる作品等いくらか(どれくらいは何とも言えないが)見受けられたと思う。個人内精神時間ではそういう未来形成は今でも十分可能と言えると思う。それが増えるのが未来への向かい方と言い得ると思う。[例、カント哲学は8次元で未来でしょう]

 

 

そういう訳で僕は1987年の雰囲気の感性を大切にしているということが判ると思います。聴いたことない曲でも1987年の曲を聴くとイメージが近似していることがよくあるのです。

 

 

 

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