uguisumoti123’s diary

僕の日常の経験等から導来された感想、雑感等を思いつくままに(徒然なるままに)綴ってゆきたいと思います。理性より感性派の僕なりの視点で捉えた内観、作品鑑賞の感想批評他を感性派の僕なりの感覚を働かせて綴ってゆきます。写真他について、(レトロ)ゲーム、漫画、日常生活で感じた(気付いた)事の雑感、他。新型コロナワクチン問題も。知的生活の事も。Twitter:「餅@sinkoumoti」「うぐいす餅#2@uguisumoti2」「うぐいす餅@uguisumoti1」等も。生まれつき観音(霊格7~8次元)と思っている

黄泉時間、極楽時間、時間感覚、セピア色の記憶論考

 よくセピア色の記憶とかって聞くけれど、どのような仕組みでそのような記憶表象に置き換わるのか、僕の体験的感覚と色々な人が述べていることを勘案して考えてみたいと思います。

 

【僕の時間感覚の推移】

ここで僕の体感的時間感覚の推移の年表を列記してみたいと思います。

 

◦1974年1月(誕生)(0才)~1978年4月(幼稚園入園)(4才):普通の長さの時間感覚

 

◦1978年4月(4才)~1986年3月(小学校卒業)(12歳):1年1年がものすごく長く感じた(規制がきつく抑圧的だったから辛く感じ長く感じた?)

 

◦1986年4月(中学校入学)(12歳)~1989年3月(中学校卒業)(15歳):中学校入学時の担任の先生が中学校時代は小学校時代より時間が速く過ぎる、どんどんどんどん速くなっていく(3倍くらい?)と言っていたが本当にそうだった、つまり時間が速く短く感じた(勉強が主体的にできる、自分の取り柄を発揮できると感じ抑圧的でなくなり開放感を感じた?悲喜こもごもだったが、まだ良かった)

 

◦1989年4月(高校入学)(15歳)~1995年3月(大学2年で中退)(21歳)~2000年12月(20世紀末まで、実家の家を建て替えている時期)(26歳):非常に悩み苦しんだ時期(青春の蹉跌?)『1992年浪人時代、同じ下宿に居た2つ上の先輩から中一レベルでいいから話しに来ていいよと言われた(面白い先輩だった)、そうか僕は高校時代ほとんど成長していなくほとんど何も考えていない未熟者で傍から見ると中一レベルだったのかとなり、この辺りから人生の悩みを真剣に感じ始め、日記帳に心の中の内面で一体何を考えているのか具体的に書き出していった[僕の人生哲学の始まり(第2の誕生日?(トワイスボーンtwice born)]。僕の内面は感情の感じ方がものすごく(仏様みたいだったのではと思っている、20世紀の終わりまで~2000年12月)その日の天気とかにも左右影響を受けるような色とりどりの感じ方が絶えず胸に去来していて(面白くはあった)、感情で胸が一杯になって思考力が全然なかったがその感じ方で音楽、他、作品を視聴、鑑賞、読んだりするとものすごく感動したりする感動力(この感動力は今でもある、昔はただ感じるのがメインだったが、今はあの頃の色とりどりさはなくなったが、感じ方が洗練精妙になって言葉にしたりできるようになった(これが普通の状態?か))がすごく、この感じ方を失わせないように行動に気を付けていたくらい(行動を間違わせない動因になっていた)。しかし、1990年代は霊障とか世紀末の恐怖とかで状況的に地獄的な目に遭った。1998年頃、1985年の終わり頃の学校のクラブ活動とか思い出し、同じ町に居るのに僕は何処へ来たのだろう(別世界の遠くへ来たみたいに、同じ町なのに)と全く別世界に居るような感覚になっていて、どうしてこうなったのかと、わずか13年前が遠い昔のように感じていた状態だった。』つまり、時間がものすごく長く感じた10年だった。

 

 

◦2001年1月(21世紀以降)(27歳)~2020年8月(46歳):一瞬で過ぎた感覚。20世紀までの苦しみがかなり消え、随分楽になって時間が速く短く感じた。僕の体験的感覚だと僕の場合、普通の生老病死の順でなく、老病死生とか順番がずれていて下手すると来世(21世紀以降)に居るのではと思っているくらい(第3の誕生日?(third born?))。僕の感覚では1996年(22歳)以降が世の中の感覚が似ていて、25年くらい一瞬で過ぎ去った感覚がある。0歳~20歳の時間感覚はひどく長く感じたが、20歳~46歳の26年間は昔の10年くらいにしか感じていないと思う。[ジャネーの法則とかいうのだろう]

 

 

【黄泉時間、極楽時間、セピア色の記憶について】

昔から過去の記憶はセピア色に変色するとか言われているけれど、僕はこのことを随分昔から考えていたけれど、今の時点での僕の考え方を述べてみたいと思います。

 

ユーミンの曲の詩に「モノクロの時間から虹色の時間に移った」ようなことが書かれていたと思いますが、僕の解釈ではモノクロの時間(=黄泉時代、黄泉時間)、虹色の時間(=極楽時代、極楽時間)と思います。その移行があったのはいつなのか、多分1971年~1974年頃(ニューミュージックの黎明期?)だと思います。様々な作品内容を見てみると全体的にそれ以前より明るくなっている、つまり極楽時間時代に移行したと考えています。

 

 

問題なのは「セピア色の記憶」ですが、昔の僕はこの明るい時代にそんな暗いような記憶になることがあるのか、と思っていましたが、いつの頃からか、僕の記憶の中にも「セピア色の記憶」になっている記憶があることに気が付きました。

[宮本輝の『ひとたびはポプラに臥す』という紀行エッセイにセピア色の記憶のこの作者の考え方が書かれていますが(講談社文庫、5巻、p86

)、これが僕のこの考え方を押し進めた要因(この作者の方、僕と似た考え方、感覚感性している(僕が似たのか?よくは分からないが)、ファン、かなり学ばさせられた)。]

 

 

3歳頃までの母方の祖父母の家の近くの草っ原で遊んだ記憶、2,3歳頃の1970年代の古い街並みの時代に父親と歯医者に通った記憶、それと1985年(小6)の塾へ行った時の父親の車での送り迎えの一部。これくらいがセピア色になっている所ですが、親父が随分頻出しているのに気が付きます。1970年代(メインの記憶イメージは曇り空で色がはっきりしない、つまり太陽光の色合いがセピア色かカラーになっているかということだと思う)の記憶がセピア色とかなら何となくイメージ的にまあ合うと思いますが、1985年でセピア色って(太陽の時代とかだろうに)そんなことあるのかと思いましたが、つまり関わった人がネガティブな建設的考え方をしない人ならその記憶もネガティブなセピア色になるということだと思う。黄泉(闇)がかった人(物事)の記憶が記憶をセピア色にさせるのだと思う。僕の経験的感覚の考え方では。

 

 

 

 

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